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コラム:「時間を使って生きる」
十二時を使い得たり
これは、唐代の禅僧、趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)の言葉です。
全体で以下の通りとなります。
問う、「十二時中、如何が心を用いん」と。
師云く、「你は十二時jに使わる、老僧は十二時を使い得たり。你、那箇の時をか問う」と。
ここに見える「十二時」とは、今の「十二時」のことではなく、二十四時間のことです。
ここで趙州に質問をした人は、「一日をどのような心掛けで生きればよいのか」と問うています。それに対して趙州は、「お前は時間に使われて生きているが、わしは時間を使いこなして生きている。お前は一体、どちらの時間のことを聞いているのか」と答えます。趙州は、質問者に時間を使いこなして生きることが肝要だと言いたかったのでしょう。
さて、人はみな同じ一日二十四時間の中で生きています。
しかし、有意義に一日を過ごす人もいれば、そうでない人もいることでしょう。人によって一日の価値は異なるものです。ではどうしてそのような差が生じるのでしょうか?
「光陰矢のごとし」という言葉がある通り、時間は非情にも刻一刻と過ぎていきます。気がつけば白髪、なんてこともあるかもしれません。
時間はみな均等に与えられています。それを無駄に使うか、有意義に使うかは本人の心掛け次第です。
与えられた瞬間瞬間を真剣に、懸命に生きること、それが時間を使いこなす生き方と言えましょう。そもそも、与えられた一日を、本当に懸命に生ききっていれば、「一日をどのような心掛けで生きていけばよいのか」というような質問が頭に浮かぶことさえないはずです。
質問者は、無為に過ごす一日を後悔して趙州にこう問うたに違いありません。しかし、まさに今際の際にある人にとっては、そんな後悔さえ虚しいものです。
「時を得る者は栄え、時を失う者は亡ぶ」(列子)という言葉もあります。
一瞬一瞬に「主人公」として生きて行くことが肝要です。
投稿者 sougen : 2008年06月22日 18:16
