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コラム:「適材適所」
夫(そ)れ物には用うる所あり、
之(これ)を用うるに各々宜しき有り。
これは唐代の寒山(生没年不詳)の詩を集めた『寒山詩』の中に見える言葉です。
全体は以下の通りです。
夫(そ)れ物には用うる所あり、之(これ)を用うるに各々宜しき有り。
之を用うるに若し所を失わば、一欠(いっけつ)し復(ま)た一虧(いっき)す。
鑿(あな)を円くして枘(ほぞ)を方(しかく)にす、悲しい哉、空しく爾(しか)為せるのみ。
驊騮(かりゅう) 将に鼠を捕らえんとするも、跛(は)たる猫児(ねこ)に及ばざらん。
【訳】
さて物にはそれぞれ使い道があり、使うにしてもそれぞれ使い方がある。
物を使うのに使い道を間違えたなら、やりそこなって事を欠く。
円い穴に四角なほぞをはめようとしたら、悲しや無駄骨折りをするばかり。
名馬が鼠を捕ろうとしてみても、脚の不自由な猫にもかないっこない。
(入矢仙介・松村昂『禅の語録13・寒山詩』p.76~77参照)
どんな物にも使い道と使い方というものがあります。
たとえばスプーンで麪を食べようとしても、うまく麪はつかめませんし、フォークでスープを飲もうとしても、歯の間からこぼれ落ちてスープを飲むことはできません。
寒山は、このような例えとして、円い穴に四角いほぞ(木材・石材などを接合するときに、一方の材にあけた穴にはめこむため、他方の材の一端につくった突起)をはめ込もうとしてもうまく入らないし、いくら脚の速い名馬であっても、小さな鼠を捕らえるには、猫の方が優れていると言っています。
事々、適材適所というものがあって、それを踏み外すと全ての物は全く無意味なものとなります。
こんなことは冷静に考えれば当たり前のことでしょう。
しかしその当たり前のことを、見失って生きてはいないでしょうか?
投稿者 sougen : 2008年05月31日 19:39
