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コラム:「石の上にも十二年」

最下鈍の者も、十二年を経れば、必ず一験を得。
これは、日本天台宗の最澄(伝教大師・767~822)の言葉です。
一つのことをやり遂げる決意を促した有名な諺に、「石の上にも三年」というものがありますが、最澄の言葉は、それよりも9年も長い。それは、「最下鈍」の者だからでしょう。
ともかく、この言葉は、「石の上にも…」と同じ、あるいはそれ以上に、一つ事を倦まず休まず続けていくことの困難さ、大切さを説いたものです。
さて、お釈迦さまの弟子に、周利槃特(しゅりはんどく)という人物がいました。彼はお釈迦様の弟子の中で最も愚鈍な者だったといわれています。どれ位、愚鈍であったというと、しばしば自分の名前も忘れる程だったそうです。
そんな周利槃特ですから、お釈迦様の教えなど覚えられるはずもなく、修行は一向に進みません。それを見かねたお釈迦様は、周利槃特に一本の箒を与えて、常に「塵や垢を除け」と唱えながら、お寺の掃除を言いつけました。
周利槃特は、愚鈍ではありましたが、生来、とても生真面目でした。お釈迦様の言いつけを守り、「塵や垢を除け」と唱えながら、一心に掃除を続けました。
そうして何年、何十年もの月日が流れ、ある日、ついに周利槃特はお悟りを開くことができました。まさに「苔の一念、岩をも通す」です。
また、明治時代に、洞宗令聡(とうじゅうれいそう・1854~1916)という禅僧がいました。洞宗もまた、周利槃特と同様に愚鈍な人物でした。
しかし、洞宗は、自分の愚鈍さをよく知っていました。そして、洞宗は、自分のような愚鈍な者は人並み以上の修行をしなければ一人前にはなれないと、陰徳の行を積むことを自らに課しました。
例えば夜中、皆が寝静まった頃、洞宗は修行仲間の草履や下駄の鼻緒を修理し、食事をするときには進んで給仕を買ってで、食事が終わった後は、後片付けに余念がありませんでした。
そして、仏前に向かって、常に「願わくば私をして陰徳を積ましめたまえ」と誓ったと言います。
その甲斐あって、やがて洞宗は師に認められて師の後を嗣ぎ、引き継いだ寺院を師の時代以上に繁栄させました。
このように、たとえ愚鈍な者であっても、一つのことを心に決めて、それをやり通すことができれば、必ず何らかの結果を得ることができるものです。
しかし、小利口な人物は、楽をすることばかりに頭を働かせて、結局は大成しないものです。たとえ愚鈍ではあっても、一つのことをやり遂げる根気があれば、小利口な人物よりも良い結果を残すに違いありません。
どんなことでも投げ出さなければ、きっとその先には美しい景色が広がっていることでしょう。
投稿者 sougen : 2008年04月27日 17:40
