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コラム:「初発心の時、便ち正覚を成ず」

これは『華厳経』の中の言葉です。
仏道修行にあって、初めて入門することを決意したその時に、すでにそのゴールであるお悟りは成就するのだ、という意味です。初心の大切さを説いた言葉です。
さて、私が禅僧になるための修行を積むために修行道場に入門したのは、18年前の、ちょうど今頃のことでした。
禅の道場で修行するためには、厳しい入門の儀式をくぐらねばなりません。まず、早朝、道場の玄関に入ってその玄関先で頭を下げ、「たの~みま~しょ~う」と大声で入門を請います。しかし、不安な気持ちが先にたって、声は震え、なかなか肚から声が出ません。すると、たちまち兄弟子から「声が小さい!」と怒鳴られます。その声の大きさに、こちらは身のすくむ思いです。
今度は兄弟子に負けまいと更に大きな声で「たの~みま~しょ~う」と声をかけ直します。しかし、中には兄弟子の一喝に圧倒されて、全く声が出なくなる者もいます。声を出しても、肝を冷やして更に声が小さくなる者もいます。すると兄弟子に何度も怒鳴られ、その度にやり直しをさせられます。
幸い、私の場合は2度目で許されました。許されると、奥から「ど~れ~」の大声と共に一人の兄弟子が現れて入門の願書を受け取り、道場の最古参の者にその願書を取り次ぎます。
しかし、これで入門が許されるかと言えばそうではありません。最古参の者は、入門者に対して、「この道場は今、修行僧で一杯だから、悪いことは言わないから他所に行きなさい」と、にべもなく突き放します。けれど、それでへこたれてはいけません。入門を許されるまで、玄関先で頭を下げ続けなければならないのです。
私が修行したのは、京都・嵐山の天龍寺です。3月~4月初旬の嵐山は、日中はそれなりに暖かいものの、朝方や日が暮れた後などはまだまだ非常に冷たい。
冷たい風が衣の裾から入って来て、身体がガタガタと震えます。また時間が経つにつれ、当然のことながら、同じ姿勢を維持することがつらくなります。しかし、それでも頭を下げ続けねばならないのです。
時折、兄弟子がやって来て、「まだこんな所にいたのか!修行の邪魔になるから出て行け!」と大声で怒鳴り、襟首を引っつかんで玄関の外に追い出します。しかし、それは入門を請う者にとって、わずかな休息でもあります。休息が済むと再び同じ姿勢で入門を請い続けます。これが2日間続くのです。
禅の道場では、この儀礼のことを「庭詰め」と言います。
こうして2日間の玄関先での庭詰めが終わると、今度は個室での3日間の坐禅です。坐禅など経験したことの無い者にとって、いきなりのまる一日の坐禅は、まさに苦痛です。また、個室だからと言って手を抜くことはできません。いつ兄弟子がやって来て、雷を落とすかわからないからです。そして、「何もしない」ということが、こんなにも辛いのかと実感する日々でもあります。
こうして5日間の入門儀礼を通過して、初めて修行僧の一員になるのです。
当然のことながら、これは長い修行のたった5日間でしかありません。私の場合、道場に5年間在籍していましたから、1826日分の5日です。
しかし今、思い返してみると、あの5日間の如何に濃密であったことか。全てのことが新しく、全てのことが戸惑いでもあったあの5日間。とても冷たく、けれどその中に少し温みが感じられたあの空気。道場に入門した時期がやって来ると、あの時の「空気」の感覚が、今でも鮮明に蘇ります。一度、着物を脱いでしまえば自分で着直すこともままならない程に不出来な「禅僧のタマゴ」でしたが、誰もが初めはそんなものなのでしょう。
私の禅僧としての原点はあの5日間にありました。
今でも同時に入門をした修行仲間は、我々が入門をしたその日に電話をしてきます。そして、お互いに初心を思い返します。
どんな世界に跳び込むにせよ、初めはどんなことも新鮮だと感じる一方、辛いことも多いことでしょう。しかし、それを通過して初めて一人前になっていくのです。そして、そこで感じたことが、生涯の礎となるのです。
さあ、今週から4月です。新たな一歩を踏み出す方も多いことでしょう。その一歩が、やがてはゴールへと導くのです。初心を決して忘れることなく頑張って下さい。
投稿者 sougen : 2008年03月30日 20:07
