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おすすめ書籍:新谷尚紀『先祖供養のしきたり』

「―わたしたちは〈死〉によって〈生〉かされている―。
人は〈死者との対話〉のなかに生きている。死者によって生かされているのがわたしたちの人生だ。生者と死者はともにそれぞれの世界で生かしあう関係なのだ。 死・葬・墓・霊の民俗学」。
「できれば家で死にたいと願う人は多い。しかし、実際に身近な人が突然に亡くなったとき、どのように対処すればよいのか知る人は少ない。日本人の風俗・習慣・歴史から、死者の送りかた、そして供養のしかたを学ぶ」(帯文より)。
KKベストセラーズ ベスト新書 780円(税込)
「この世にいる家族や親族、友人などが、あの世の死者や先祖が眠る墓を訪ねて、花を手向けたり、線香を焚き、お経をあげたりすることを〈墓参り〉という。
むしろ、こうした行為は、子どもたちや孫たちに、自分がどこから生まれてきたのか、そして、決して一人だけこの世にいるのではない、先祖があってこそだ、ということを学ぶよい機会となるはずだ」(本文より抜粋)。
*本書は、民俗学的な立場から先祖供養の諸相について述べたものです。
筆者は本書を執筆した動機として、昨年来大ヒットしている「千の風になって」という歌の霊魂観をあげています。
周知の通り、「千の風になって」は、アメリカでの同時多発テロの追悼式の場でよみ上げられて評判となり、日本では新井満氏が翻訳し、オペラ歌手の秋川雅史さんが歌って大ヒットしました。
その内容は、死者が風や光や雪や鳥や星といった自然の一部になって遺族の側に居続ける、といった死生観をロマンチックに歌ったものです。
しかし、その霊魂観は実に素朴なものと言えます。
例えば、「死」というものを理解できない子供に「死」を納得させるために、「死んだら星になる」という説明がなされることもままあることです。実は、「千の風になって」の内容は、こうした子供に話す方便と大差無いのです。その意味で、この歌は、非常に幼稚な死生観をうたったものと言えましょう。
筆者はこう述べます。
「〈千の風〉は、自分の愛する彼や彼女を失った喪失感に戸惑い悩む自分の精神の安定を求める、小さな自己愛に過ぎない。悲歎のなかにいる自分が癒されたいのである。グリーフ・ケア、それが中心であり、かならずしもあの世の死者の苦しみを心配したり、声援を送っているのではない」。
確かにその通りです。「千の風…」を愛する人びとの話す死生観が非常に稚拙に思えるのは、こうした理由からでしょう。近親者の死に本当に身を切られるように苦しんでいる人の場合、この程度の死生観で癒されるとは到底思えません。仮に癒されるとしたら、秋川氏の歌う曲としての完成度の高さにあるのでしょう。
筆者は更にこう批判します。
「かつての伝統的な葬送観念が包括していたのは、生きている自分たちの側から見て、未知で不安なあの世へと旅立つ死者たちの苦しみや迷いを想像し、共感してその冥福を祈るという、他者愛の想像力によるものであった」。
何十万年もの昔に存在したネアンデルタール人も、近親者の死を悼んだと言います。それは決して自己愛によるものではなく、死者への愛からの行為であったと言えましょう。先祖供養の簡略化が進む現在、改めて先祖供養のあり方について考えることは必要なことです。
さて、内容に移りましょう。
本書は、タイトルから想像するような、先祖供養の具体的な方法を述べたものではありません。むしろ、先祖供養において実践すべき「しりたり」の由来について概説したものです。
人の死に方から通夜や葬儀の方法、お墓について、またお仏壇の祀り方など、項目を細かく挙げて先祖供養について説明をしていきます。
従来ならば非常に専門的なものとなるような内容を、平易に、しかも細かく説いていて、楽しく読むことができます。
余談ですが、本書の問題点を挙げるとすれば、独創的な先祖供養の方法を説くことで有名な、あの細木数子氏の著書を多く出版している、「KKベストセラーズ」から発刊されていることでしょうか?あるいは御社の罪滅ぼしでしょうか?皮肉はこれ位にしておきましょう。
投稿者 sougen : 2008年02月11日 19:26
