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おすすめ書籍:小池靖『テレビ霊能者を斬る ―メディアとスピリチュアルの蜜月―』

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「スピリチュアル・ブームを背景に〈テレビ霊能者〉がカリスマ化している。〈前世〉〈守護霊〉といった話題が、普通にお茶の間で語られる昨今であるが、実はテレビと霊能者の蜜月の歴史は古く、その関係には、今も批判的な声が根強く存在する。本書では、カリスマ化する〈テレビ霊能者〉をテーマに、なぜ彼らは人気を博しているのか、その人気は、現代日本人のどのようなニーズの反映なのか、彼らの背景にある思想は何なのか、そして、メディアと霊能者の親和性などについて、新進気鋭の宗教社会学者が解き明かす」。

ソフトバンク新書  2007年12月28日刊  ¥700

*本書は、近年、テレビで活躍する、いわゆる「テレビ霊能者」たちを俎上にのせて、彼らの人生や手法を客観的に分析し、メディアと彼らの関係性について検討を加えたものです。

テレビ(特に民放)で活躍する「霊能者」たちを総称して、「テレビ霊能者」と称したことは言い得て妙です。本書中に筆者が説明している通り、「テレビ霊能者」という表現は、筆者の独創ではなく、三木英・櫻井義秀『よくわかる宗教社会学』(ミネルヴァ書房)で、既に使われているものです。

さて、本書では、70年代のユリ・ゲラーに始まり、80年代の宜保愛子など、テレビで活躍した霊能者たちの多くに言及していますが、主な対象は、江原啓之氏と細木数子氏の二人です。

ここ数年、「スピリチュアル」という言葉をよく耳にします。この言葉を現在の日本人に知らしめたのが江原啓之氏であることについては、おそらくは異論はないでしょう。

彼は、自称「スピリチュアル・カウンセラー」で、霊視をすることによって相談者の悩みに答える「スピリチュアル・カウンセリング」と呼ばれるものを行う人物です。

彼が、一躍時の人になったのは、テレビ朝日系の、彼と美輪明宏氏が、ゲストに「スピリチュアル・カウンセリング」を行う「オーラの泉」という番組が、従来の深夜枠からゴールデンタイムに進出したことによります。

一方の細木数子氏は、彼女が編み出したとされる「六星占術」(しかしこれが中国の暦の考え方に由来する占いの一変種であることは、本書中で説明されている)を行う占い師であり、また彼女の占い本は、ギネスブックにも載っているベストセラー作家でもあります。

しかし、彼女がテレビでもてはやされるのは、占い師としてよりも、その特異なキャラクターから発せられる断定的な物言いにあると思えます。そして、彼女の主張は、古典的な「家父長制」に則ったものであることは知られるところです。相談者の悩みへの解決法にも、多く先祖供養を怠ったことを原因にあげています。その意味で、彼女の主張は、ある程度、既成宗教と親和性を持つものとも言えますが、彼女の先祖供養は、何ら根拠のない独創的なものでもあることは付言しておかねばなりません。

近年、マスメディアで宗教にかかわる事柄を扱うことには慎重な態度が求められています。マスメディアや公の機関が「宗教」を扱うことに慎重であるにもかかわらず、「テレビ霊能者」が、マスメディアで重用されるのはどうしてでしょうか?

それは、彼らや彼らの支持者たちが、自らを「宗教者」、あるいは「信者」と見なしていないことにあるのでしょう。では彼らはどういった分野に属する人物かといえば、それが「スピリチュアル」な世界にいる人物ということになるのです。江原氏自身が自らを「スピリチュアル・カウンセラー」と名乗っていることからも、そのことは明白でしょう。彼らについて分析した論は多く見えますが、ほとんどの場合、彼らを宗教者としてではなく、「スピリチュアル」のカテゴリーの中に収めています。

本書では、スピリチュアル世界を、「非正統的な知の総体」(例えば、オカルトや超常現象、霊能、UFO信仰、能力開発法、ポップ心理学、代替医療、健康法など)とします。つまり、特定の宗教には属さないけれども、どこか宗教的で、不可思議で、そして癒しを与える「文化的な現象」ということになるでしょう。

しかし、本書では、江原氏や細木氏の出現を、「宗教なき時代の宗教」と位置付けています。それは、江原氏や細木氏が、自らの主張の中に「守護霊」や「先祖供養」などを織り込ませているからです。

だが、これらの「先祖供養」の類が、現在の日本人に宗教行為の一つと見なされているかと言えば、そうとは言えません。例えば、お盆の里帰りや墓参りを純粋な宗教行為であると今の日本人の何人が認識しているでしょうか?それらは、むしろ日本人の文化の一つとして見なされていると言えます。

筆者は、こう言います。

「〈組織としての宗教〉が徐々に衰退し、宗教への個人主義的な関わりが増していくという意味では、テレビ霊能者は日本の宗教史の大きな流れに連なる現象でもある。それは、宗教団体のような組織を必要とせず、バラバラの個人がマスメディアを通じて情報にアクセスするという意味ではスピリチュアル系の現象であるが、現在のテレビ霊能者はむしろ、先祖霊などの観念によって日本の伝統的宗教の世界観とも接合しているところに特徴がある。また当然、テレビ霊能者がバッシングされる時も、どちらかというと〈新しさ〉に属する部分のほうが批判の対象になりやすい」(p.149)。

既成宗教が活気を失う現在、それを補う形で、個人的に宗教的なものを求める人びとに、テレビ霊能者は受容されていると筆者は指摘しています。

いつの時代も人は不安を抱えて生きています。そして、歴史上、そうした人びとに安らぎを与えてきたものが宗教でした。それ故、宗教的なものは必要不可欠なのです。

しかし、現在の既成宗教は、伝統に束縛されて、時代にうまくコミット出来ずにいると言えましょう。

その間隙を突いたのが新興宗教であり、テレビ霊能者なのだと筆者は指摘します。つまりその意味で、テレビ霊能者は、時代の空気にうまくマッチしたものと言えます。

しかし、時代にマッチすれば全て良いのでしょうか?いえ、そうではありません。

江原氏の主張する霊魂の存在については、遠い過去に大乗仏教によって明確に否定されています。すでにその時代に、こうした考え方に問題があることは、十分に議論され尽くしているのです。また彼の霊視自体が出鱈目ではないかとの疑問も諸処で指摘されています。

細木氏は、多少、仏教の因果めいたことも口にしますが、それは「地獄に堕ちるわよ!」という有名なフレーズからも理解出来る通り、自らの主張を通すための脅し文句にしか過ぎず、到底、知的なものとは言えません。

一方で、彼らが広く受け容れられているのも事実です。筆者はこう言っています。

「テレビ霊能者は、まさに民衆の宗教的ニーズの一部に応えているからこそ、ここまでの人気を博しているのである。個々のテレビ霊能者が画面から消えても、そのニーズそのものが一朝一夕に消失してしまうことはないだろう。そして、宗教的ニーズの一端であるからこそ、テレビ霊能者たちの主張には証明不可能な部分があり、そのことが常に批判を起こしやすくしているのである」(p.161)。

テレビ霊能者たちにニーズがあることは、その視聴率が物語っています。彼らの言葉で安らぎや救いを得た人も少なからずいることでしょう。しかし、彼らの主張は一方的で、しかも自分達に好都合な形で流されていることを、視聴者の側も常に意識すべきです。

「霊能番組が、我々の生き方や宗教性を考える一つのきっかけとなることまでは否定しない。問題は、そこから真に有益なメッセージを取捨選択しつつ、健全な懐疑心をも忘れずに、賢い視聴者として生きていくことができるかどうかということだ」(p.168)。

筆者はこうして、視聴者にマスメディアの発する情報への批判的な目を持ち続けることの重要性を指摘します。昨年の今頃、あるテレビ番組が「納豆がダイエットに有効」との嘘の情報を流していたと大問題になったことは記憶に新しいですね。

本書は、マスメディアと宗教という、古いようで新しいこの問題を、「スピリチュアル」という新たな視点から、それも非常に整理された形で提示したという点で良書であるということが出来るでしょう。

投稿者 sougen : 2008年01月21日 09:39

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