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コラム:今週の「こころの言葉」

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七歳の童児も我に勝(すぐ)るる者は、我は即ち伊(かれ)に問わん。

百歳の老翁も我に及ばざる者は、我は即ち他(かれ)に教えん。

これは、中国の唐代の禅者、趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)の言葉です。

趙州は、長年にわたる修行の後、60歳になって改めて行脚の旅に出、80歳になって一ヶ寺の住職となり、120歳の長寿で逝去したとされる禅者です。

この言葉は、趙州が60歳の時に再行脚に出た時の誓いの言葉であったとされています。


人は往々にして、相手が自分よりも年少者だと思うと相手を見下し、たとえ自分よりも優れていたとしても、なかなか真剣に耳を貸そうとはしません。それどころか、「生意気だ!」とか、「近頃の若い奴は…」などと言って、怒りや不満を爆発させるのがおちです。

一方で、相手が自分よりも年長者だと思うと、たとえ自分よりも劣っていたとしても、その間違いを指摘することができません。

しかし自らに私欲が無く、誠実に生きていれば、たとえ相手が年少者であったとしても、その優れた所を真摯に認めることができるはずですし、たとえ相手が年長者であったとしても、その欠点を教えてあげることができるはずです。

問題は、自分が無心・無我でいることができるかどうかです。

先入観だけで物事を判断することほど、愚かなことはありません。

投稿者 sougen : 2008年01月27日 18:58

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