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コラム:「この月の月」

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夕べは今年の中秋の名月。秋の到来を告げるように、夕べから気温も下がり、今朝などは肌寒いほどでした。

道元は四季を「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」と詠いました。空気の澄み始めたこの時期の月は、まさに格別だと言えるでしょう。

さて、禅では非常にたくさんの月を題材にした風流な言葉が残されています。

例えば「千江水有り千江の月、万里雲無し万里の天」

天空に浮かぶ月が地上を照らし出す。そして月の光に呼応して、月影が千本の川の水面に浮かんでいる。天を見上げると万里の雲一つ無い空。とても雄大な景色を詠い上げたものですね。その夜の月はさぞや美しい月であったことでしょう。

例えば「吾が心は秋月に似たり、碧潭清くして皎潔」

私の心はまるで碧潭に皎々と冴えている秋の月のようだ、という意味です(入矢義高『禅語辞典』参照)。澄み切った碧色の池に秋の月が浮かんでいる様を詠ったものです。この句の後に「物の比倫するに堪えること無し、我をして如何に説かしめん」と続きます。この月の美しさは他に比べようもない、という感慨です。中秋の名月にピッタリのうたです。

一般に禅では、「月」は「仏性」(ぶっしょう)の譬喩とされます。「仏性」とは、「仏の本質」(中村元『仏教語辞典』)と解されますが、平たく言えば、「心の本質」ということでしょう。

仏教では、我々の心にはみな「仏性」が有って、普段は煩悩によって隠されている。その煩悩を取り払えば、「仏性」が現れ出て、みな仏になることが出来るのだとされます。

雲一つない空に浮かぶ一輪の月がわれわれの心の本質。そう考えると、我々日本人が、ことさらに月を愛する理由が理解できるような気がします。

さて、禅の言葉ではありませんが、「月月に 月見る月は多けれど 月見る月は この月の月」(詠み人知らず)という「月」という文字を八つ詠み込んだ有名な句もあります。

中秋は旧暦の8月15日のこと。「月」を8回詠み込んだのは、「8月」にかけているのだとも言われています。「この月の月」とは、「今月(旧暦8月)の月」ということ、つまり中秋の名月を指します。

しかし私は「この月の月」という言葉を、端的に「目前に浮かんでいるこの月」と取りたい。事実、即今見ている月以外、月はそこには存在しません。まさしく眼の前に浮かんでいる「この月」こそが、私をこのような澄んだ心持ちにさせるのだ、と取りたいのです。

言うまでも無く、「この月の月」は、あなたの本当の心の投影です。

「憎い」「辛い」「悲しい」…、そんな雑多な思いを振り捨てて、一心に「この月」を見ている時、「月」に喩えられるあなたの「本当の素直な心」が現れ出ているのです。そんな時、あなたは紛れもなく仏様なのです。

そんなことを思いながら、「この月の月」を堪能してみてはいかがですか?

投稿者 sougen : 2007年09月26日 17:27