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2007年07月15日

おすすめ書籍:上田紀行『目覚めよ仏教!-ダライ・ラマとの対話-』

目覚めよ仏教.jpg

こんなに激しく語るダライ・ラマ、はじめて見た!!

文化人類学者である著者が、亡命中のダライ・ラマを尋ねて実現した二日間にわたる対話の記録。

上田紀行
「仏教の本質を見極め、それを甦らせれば、必ずやそれは現代の私たちの苦しみを救うものとなるのではないか、この時代を救うものとなるのではないか。」

ダライ・ラマ
「そして、これまで議論してきた仏教の復興です。古来の仏教の伝統を、より生きたものとして復興させ、この時代にあったものとしていくことによって、仏教は現代において存在価値を獲得し、活かされることになるでしょう。」

*著者はかつて『がんばれ仏教』で、日本仏教の現状に問題を提起し、そして新たな活動に励む現代の僧侶を取り上げることによって、日本仏教の可能性について言及した。本書はその続編に位置付けられる。

さて本書を一読してまず感じられることは、ダライ・ラマの言葉が驚くほど論理的で平易なことだ(英語での対談であるから、訳者の意向も反映されている可能性もある)。日本の仏教者にありがちな、いわゆる「説教臭さ」が微塵も感じられない。そして先鋭的でもある。

ダライ・ラマは言う、

「神の存在を信じる宗教のグループに属する現在のローマ法王は、たいへん知的な神学者であり、宗教的な指導者ですが、彼は信仰と論理性が共存しなければならない、と強調しています。信仰のみでは宗教は単に神秘になってしまいますが、その信心が正しい論理に伴われているとき、その信心は確かな裏づけのある適切なものとなり、日常生活にも妥当性を持つものとなるのです。

仏教では、そもそも一番初めの段階から、信仰と論理は両立していなければなりません。論理性を欠く信仰は単なる盲信となってしまいます。それは釈尊によて明確に否定されています。信仰は単なる盲信的な信心ではなくて、自分が信心をするに値する適切な土台を釈尊の教えが持っているということについて、自分自身が確信することが必要なのです。…ですから、単に教えられたことを、釈尊が説かれているからという理由によって信ずるのではなくて、教えに対してまず懐疑的な態度によって疑ってかかり、その教えがほんとうに正しいのかどうかということを、自分の頭を用いて調べ、ほんとうにそれが正しいのだということを理解したうえで、その教えを信じていくという態度が必要であるといわれているのです。」(p.72~74)

このようなダライ・ラマの主張は、現代的な問題への一仏教者としての提言として位置付けることができる。論題は仏教界への批判、教育の問題、家族愛について、そして経済活動について、etc…。

時には仏教を離れるように見えながらも、ダライ・ラマの話の根底に常に仏教が息づいている。ダライ・ラマが日本の現況について非常によく理解していることもまた驚きである。

一方で、インタビュアーであり、著者でもある上田氏の質問は、時に独りよがりとなり、また詭弁に堕することもある。ダライ・ラマの鷹揚さと比較すれば、どうしても「青臭さ」が感じられる。しかしダライ・ラマから日本社会の現状に対するこれだけの提言を引き出した点は評価すべきである。

さらに両者の間には共通点がある。それは「仏教が現代社会によりコミットしなければならない」ということである。

上田氏はかつて『がんばれ仏教』で、社会に積極的に関係を持つ僧侶を紹介した。そして、今回もダライ・ラマにそういった僧侶達の活動を紹介している。

そしてダライ・ラマも僧侶が社会にコミットすべきだと主張していることは、先の引用に見た通りである。その上で、ダライ・ラマはこう言う。

「社会を成り立たせ、統合している要因は、法律なのではなくて、愛と思いやりなのです。我々は法律やルールで強制されて一緒に暮らしているのではなくて、私たち自身から自然に発せられる思いやりによって一緒に生活を営んでいるのです。」(p.225)

こうしてダライ・ラマは「愛と思いやり」こそが、僧侶にとっても人々にとっても社会に生きていく上で重要なのだと説く。この点について、著者は次のようにまとめる。

「ダライ・ラマのこれまでの70年余にわたる生涯は、封建時代、近代、そしてポスト・モダンを一人の人生に凝縮しきったものだ。封建制における王として育ち、しかし亡命後は政治と宗教の近代化を推し進める。そして近代の冷酷な社会システムに代わるものとして、愛と思いやりに基づく社会を提示する。その〈愛と思いやり〉は単なる伝統的な価値の復活ではない。復古主義ではなく、近代化を通りぬけた後に再提示された、これからの時代における〈愛と思いやり〉なのである。
封建時代からポスト・モダンまでを駆け抜けた観音菩薩、それがダライ・ラマその人なのである。」(p.222)

中国政府に侵略され、多くのチベットの同胞たちが悲惨な目に遭いながら、未だチベットに足を踏み入れることの出来ないダライ・ラマ。そのような境遇のダライ・ラマがかくも快活に、また愛と慈悲について語り続けることに驚きを禁じ得ない。

「その姿を拝見するだけで誰もが幸せになってしまう柔和な笑顔の内に、実は激しいエネルギーが燃焼している。そして自分の話が毒にも薬にもならない〈ありがたい話〉として聞かれることをダライ・ラマは断固拒否していた。それは真に世界に訴えかけることを自覚している宗教者の姿であった」(著者談・p.12)

ぜひ多くの方々に、ダライ・ラマのメッセージを受け取って頂きたい。

最後に一つだけ欲を言えば、仏教の価値を高く評価し、日本の仏教者に檄を飛ばし続ける著者に、是非とも、次は日本の仏教者に目を向けて貰いたい。

確かに著者の、現在の日本の仏教者への批判には首肯せざるをえない点が多い。その点は我々も大いに反省し、真摯に著者の提言に耳を傾けねばならないであろう。

しかし日本にも、特に臨済禅にはすぐれた僧侶が多くいる。まずはそういった方々に目を向けて欲しい。そして、日々壇信徒と触れ合いながら、市井にあって汗を流し続ける町の僧侶達のことをもっと知るべきであろう。目だつ活動だけが宗教活動ではない。むしろそういった日々の積み重ねが、仏教をこれほどまでに日本社会に根付かせた一番の要因でもあろう。

日本の仏教は目覚め続けているのである。

230頁、日本放送出版協会、¥1,124 (税込)

投稿者 sougen : 11:56

2007年07月01日

コラム:恩愛(おんあい)、甚だ絶ち難し

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この言葉は、浄土真宗の開祖である親鸞聖人のお言葉です。

「恩愛」とは、夫婦や親子間での愛情のことを言います。「恩愛、甚だ絶ち難し」とは、深い愛情で結ばれている夫婦や肉親への愛情を断ちきることは困難なことだと言う意味です。妻子を持っていた親鸞聖人らしい人間的な言葉です。

仏教には「恩愛別離」という言葉があります。これは「愛別離苦」(愛する人との別れ)とも言われ、仏教の八苦(人間の根源的な苦しみ)の一つに挙げられます。

愛する人を亡くした苦しみは、体験した人にしかわからない非常な苦しみです。

われわれ僧侶の仕事は、こうした愛する人を亡くしたご遺族とのお付き合いが中心です。ご遺族はみな、大なり小なりその苦しみに直面しています。

そして遺族の多くは、あるいは時間の経過によって、あるいは現実を受けとめることによって、そのような苦しみを克服していかれます。

しかし、皆が簡単にそのような苦しみを克服できる訳では無く、いつまでもそのような苦しみに苛まれ続ける方もいらっしゃいます。

そのような方を前にして、我々が出来ることは何か、どんな言葉をかければよいのか、我々もまた迷い、苦しみます。

そもそも「諸行無常、諸法無我」(あらゆる現象は変化しつづけ、あらゆる存在には永遠なものなどない)は仏教の根本的な教えです。世間は無常なものであり、身も心も幻のごときものなのです。

しかしそれがいくら普遍の真理であったとしても、いざ現実の場で「愛別離苦」に遭遇した時、その真理を簡単に受けとめることなどできないのが人情というものです。

当HPでも紹介いたしました『文藝春秋SPECIAL』2007年夏号の中の、保坂正康氏というノンフィクション作家が著した「二十二歳で逝った息子へ ―愛する家族の喪失と再生―」という一篇のエッセイを読み、大変に啓発されました。

その中に、英国の王立精神医学大学発行の「悲しみに関するリーフレット」の、次のような「愛する人を喪った悲しみ」のプロセスが紹介されています。

①最初の悲しみ
(愛する人を喪ったあと数時間は現実が信じられず、呆然としてしまう。いわば感情の麻痺状態)
②不安感と故人への恋しさ
(どうにもならない不安感、そして故人が存在していないのにその姿を求めたりする。現実が受けいれられず不眠症になることもある)
③怒りの感情
(死を防ぐことができなかった医師や、故人を愛していないと思われる友人や親戚、そして自分を置いていった故人への怒りなど)
④深い罪悪感
(故人にもっと優しく接すればよかったとか、ああいう病院に入れなければ助かったのにという自分を責める気持ちが強まる)
⑤静かな悲しみ、引きこもり、沈黙といった状態
(他者と接しない、あるいは口数も少なくなる)
⑥突発的な悲しみ
(故人を偲ばせる人、故人のいた場所や遺品を見ると急に泣き出したり、深い沈黙を続けたりする)
⑦悲しみの薄れ
(最初に感じた痛烈な死別の悲しみは薄れ、しだいに他のことにも関心が向くようになる)
⑧故人を解放し、自らも新しい人生を始める
(抑鬱状態は薄れていく。睡眠も十分に取れるようになり、活力も戻ってくる)

一般的に、第1段階から第8段階に至るまでに1,2年程かかるとされています。しかし、それも個人によって差があります。

保坂氏自身、最愛の息子の死を克服できず、第8段階に至るまでに5年程かかったことを告白しておられます。そして、その苦しみをようやく克服した保坂氏は、これらの8段階にさらに2段階を追加されています。

⑨故人を自らのなかに抱え込む
(故人のなかに存在したであろう自らのイメージを守ることが故人を抱え込むということである)
⑩自らの死によって「愛する人」もまた再度死ぬ。それまでは「愛する人」と共に生き抜く。
(悲しみを乗り越えるのは本人が自立することである)

保坂氏は最終的に第10段階のような結論に到りました。そしてこのように仰っておられます。

「私は息子の死を通じて悲しみから逃げてはいけないとの思いをもつ。速効的な宗教上の考えや酒などに逃避してもそこには解決はない。自分が自立した姿勢で悲しみと向き合っていく。その強さをもつことで死者とともに生きているとの実感をもつ。それが人間的な成長ということでないかとも思うのだ。」

ここで保坂氏が、「宗教上の考えや酒などに逃避してもそこには解決はない」と述べておられることは注意が必要です。これは、自分の力で乗り越えることから目を背けるべきではない、という意味でしょう。

ともあれ保坂氏は、息子さんの死を受けいれるまでの長い苦しみを経た後、今は亡き息子さんが、保坂氏の中で依然として生きているのだとの自覚を得るに至ったのです。そして保坂氏は、そのことに気付いた時、自らの生もまた充実したものとなったのだと述べているのです。

中国の大慧宗杲(だいえそうこう)という禅の僧侶もまた、家族を亡くした遺族に対して次のように述べています。

「父母と子供との恩愛の情は、限りない時間をかけ、限りない生死をくり返す間に染みついたものだからこそ親子となったのです。自分が日頃愛しているものを天が奪ってしまったのです。どうでしょう、忘れられますか?忘れられませんか?…悲しみを克服したいのなら、今悲しみなさい。亡くなった方のことで思い悩まないようになりたいのならば、今思い悩みなさい。思いに思いを重ねて、恩愛の情ををきれいさっぱり払い捨てるのです。そうすれば、自然に悲しみのない境地にいたるでしょう。今、思い悩まないように、悲しまないようにしなさいと勧めることは、まるで火に油を注ぐようなものです。」

ここで大慧は、愛する人を亡くした悲しみを堪えるのではなく、反対に思い悩み、悲しみ尽くしなさいと言うのです。そして、その悲しみの果てに、きっと真の安心が有るのだと教え諭すのです。大慧の主張は、保坂氏の経験に重なります。

死は誰にでもいつかは訪れます。しかし遺族はその衝撃を簡単には受けいれることはできないでしょう。しかし、保坂氏が最終的に得た境地のように、死者は遺族の中で遺族と共に生き続けるのです。だからこそ、遺族は自らの生をより充実したものに変えていくべきなのです。遺族が悲しめば、遺族の中にいる死者もまた悲しむことでしょう。反対に、遺族が笑えば、死者もまた遺族の中で笑っているに違いありません。

しかし、そのような境地に至ることは決して容易ではありません。そして、それが出来るのも、悲しんでいる当の本人だけなのです。我々は死者の供養を通して、その手助けをすることしかできません。

決して現実から目を背けてはいけません。死を受けいれることから新しい生が始まるのです。時間はかかるかもしれませんが、決してその過程を投げ出してはいけません。

一方でわれわれ僧侶自身も、「愛別離苦」に苦しむ遺族に対して、体のいいうわべを取り繕った「宗教の言葉や考え」に逃避することは避けねばなりません。遺族の悲しみを我が身に引き寄せ、遺族の苦しみを分かち合った上で、自らの言葉や考えによって遺族に対さねばならないでしょう。それが「生きた」宗教のあり方と言えるでしょう。とても困難なことですが、それがわれわれ僧侶に課せられた課題なのです。

最後に、幼い子供を亡くした母親が、長い苦しみを経た後につくった詩を紹介して筆を置きたいと思います。

パニックはゆっくりとしか去らない
この悲しみに備えるのにすでにわたしには長い長い時間がかかった
なぜこの子は逝こうとするのか、なぜなにもかも長くは続かないのか
未来が過去の事であってはならないのに

だがしかし、ある歌は短い、ある歌は長い
完璧な4年間、でも短い歌だった
だけどああ今日この子は歌っている、活き活きと、大きな声で
そして未来はようやく現在に ―今に、なった (『死ぬ瞬間と子供たち』)

投稿者 sougen : 18:04