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2007年05月19日
その他の情報:~禅を学ぼう・仏教を学ぼう~夏期講座のご案内
大本山妙心寺では花園大学と共催で学びと禅の実践の場を用意しました。
【募集要項】
開催期日 8月31日(金)~9月2日(日)正午まで
会場 大本山妙心寺・花園会館・花園大学
宿泊 花園会館(相部屋となります)
募集定員 80名
受講料 22,000円(宿泊費・食事費・テキスト代)
内容 坐禅・講座・特別講座
講師 花園大学教授・妙心寺派宗務総長・部長
特別講師 龍門寺大衆禅堂師家 河野太通老師
申込 住所・氏名・性別・年齢・電話番号を明記の上、下記住所までハガキでお申込下さい。
締切 8月20日(定員になり次第締切ます)
〒616-8035
京都市右京区花園妙心寺町64
妙心寺宗務本所 花園会本部 夏季講座係 宛
投稿者 sougen : 16:17
2007年05月03日
コラム:以心伝心

先日、今話題の映画『バベル』を観に行って参りました。『バベル』は、メキシコ出身のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督(『アモーレス・ペロス』、『21グラム』)の作品で、菊池凛子さんや役所広司さんが出演していることでも話題になっています。
「バベル」というタイトルは、「バベルの塔」からきています。
「バベルの塔」は、『旧約聖書』の『創世記』11章に見える伝説上の巨大な塔のことです。
元来人々は同じ一つの言葉を話していました。ある時、人々はレンガとアスファルトを手に入れ、天まで届く塔のある「バベル」という町を作ろうと考えました。
神はこのような人間の高慢な企てを知ります。そして神は、これは人間が同じ言語を持っているが故の所業であると考えます。
こうして神はバベルの塔を崩壊させ、言語をバラバラにしました。そして人々は混乱(=「バラル」)し、世界各地へ散って行ったのです。「バベル」は、混乱を意味する「バラル」からきたものとされています。
この『旧約聖書』に見える伝説は、世界に様々な言語が存在する理由を説明するための物語であると考えられています。そして、また一方で、技術を手にした人間の傲慢さを戒めたものと考えられています。
さて、映画の『バベル』ですが、日本、アメリカ、メキシコ、モロッコの四都市を舞台に物語は進行していきます。登場人物は、みな何かしらの理由で言葉によるコミュニケーションの限界に突き当たります。
「言葉が通じないこと」と「心が通じないこと」…、この映画の底流に流れるのは「コミュニケーション」ということです。
禅は「不立文字、教外別伝」(ふりゅうもんじ、きょうげべつでん)を標榜します。この言葉は、『無門関』第六則「世尊拈花」(せそんねんげ)に見えます。
世尊(=仏陀)が昔、説法した時、目前にいる僧達の前で一本の花を手にとって人々に示しました。その時、みな世尊の真意がわからずに黙ってしまいましたが、ただ迦葉(かしょう)という弟子だけはそれを見てニッコリと微笑みました。すると世尊は、「吾に正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙の法門有り。不立文字、教外別伝、摩訶迦葉に付嘱す」(私には真実の教えにして、妙なる悟りの心、形を持たない真実の姿、不可思議なる仏法がある。いま、それを言葉を使わず、〔文字に記された〕経典の教え以外の方法で、迦葉に委ねたのだ)と言いました。
この話は、禅の性質をよく表しています。要は「各自で自覚せよ」ということです。
言葉というものは不安定なものです。同じ言葉であっても受け取り方によっては全く正反対の意味にもなります。言葉だけで真実を伝達することは不可能なのです。それが「以心伝心」という言葉の由来でもあります。
では本当に言葉は不要でしょうか?「不立文字、教外別伝」と言いながら、禅には大量の言葉が残されています。「言葉」を重視する他の宗派よりも多い程です。何故でしょうか?
禅者は「言葉」を信用しませんが、かといってコミュニケーションの重要な手段である「言葉」を放棄はしません。むしろ、その可能性を極限まで突き詰めます。
ある禅者は、「仏とな何か?」と問い、「乾いた糞」と答えました。また別の時には、「芍薬(しゃくやく)の花壇」と答えました。
一見、問いと答えとの間に何の脈絡も無さそうです。ではこのような問答によって、一体、何を伝えようとしているのでしょうか?それは、「以心伝心」と言われるように、「心」を伝えようとしているのです。
心には形はありません。だから心を言葉で伝えることなど本来不可能なのです。だからこそ、人はたびたび言葉によるコミュニケーションに躓き、絶望するのです。異文化間でのコミュニケーションなら尚更です。
言葉をはぎ取った時、そこに残るのは、相手の心を知ろうとする思い、伝えようとする思いだけでしょう。そして、これが本来のコミュニケーションのあり方だと言えるでしょう。
禅に「頻りに小玉と呼ぶも元より事無し、只だ壇郎の声を認得せんと要す。(しきりに侍女を呼ぶのは何も用事があるからではない、忍んできた愛しい人に私の声を聞いて欲しいから)という艶っぽい言葉があります。
この言葉をそのまま受け取れば、相手に自分の気持ちを伝えたいがために何度も何度も侍女を呼んでいるのだといえます。「小玉」という呼びかけは、愛しい壇郎への「思い」に他ならず、「小玉」という言葉には意味はないのです。
しかし、それも壇郎がそのような思いに気付いてはじめて成立すること。コミュニケーションとはそんなものなのです。
あなたが誰かに発した言葉にそんな「思い」は詰まっていますか?また誰かの言葉から「思い」を汲み取ろうと努力をしていますか?もしそうでなければ、そこにコミュニケーションは成立していません。
また反対に言葉が通じなくとも、そこに「思い」があれば、きっとコミュニケーションは成立するはずです。
『バベル』が伝えようとしていたことは、そんな「以心伝心」の重要性ではないか、そう感じた2時間20分でした。
投稿者 sougen : 18:46
2007年05月01日
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投稿者 sougen : 18:15
