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コラム:ある禅学者の死

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昨年、一人の高名な禅学者がお亡くなりになられ、先日にはその母校で故人を偲ぶ会が開催されて、多くの方々が故人のご冥福を祈りました。

故柳田聖山(1922-2006)師は、敦煌で発見された禅文献の分析を嚆矢として、その後は中国・日本にわたる禅の研究に一生を費やされた方です。

その柳田師がお亡くなりになる寸前、当山の晋山式にもお越し頂いた河野太通老師がお見舞いに行かれた時のこと。

河野老師が柳田師の部屋へ入って柳田師と面会した瞬間、「近日、尊候如何!」と尋ねられました。

それに対して病床にある柳田師は、合掌して「日面仏、月面仏(にちめんぶつ、がちめんぶつ)」とお答えになられたそうです。

この会話は、『碧巌録』という禅の問題集の中にある問答です。

中国の唐の時代に、馬祖道一(709-788)という禅者がいました。彼が亡くなる寸前、寺院の事務を司る人間が、その馬祖に問いました。「和尚、近日尊候如何(和尚様、近頃のご機嫌はいかがですか?)」

それに対する馬祖の答えが、「日面仏、月面仏」というものでした。

「日面仏」とは、1,800歳の長寿の仏のこと、一方「月面仏」とは、一日一夜の短命の仏のことです。

つまり、「日面仏、月面仏」という答えによって、馬祖は寿命の長短にこだわらない自らの境地を呈示されたと解せます。

寿命の長短というものは相対的なものであり、絶対的な価値ではありません。短命でありながらも満足した人生を送る方もいれば、長命であっても不遇な人生を送る方もいらっしゃいます。人それぞれです。ましてや病床にあって死期が迫っている方にとっては、一日が何年もの価値を持つことでしょう。

そもそも寿命の長短は各人の与り知らぬこと、お天道様が決めることです。そんなわからないことに右往左往することも空しいだけです。

我々にできることは、与えられた一日一日を精一杯生ききること、まさに「一期一会」に生きるだけです。

さて、当時の柳田師と河野老師の心中はどうであったか?それは本人同士にしかわかりません。しかし、きっとその時の病室には緊張感と、知音同士の心が触れ合った時の、何とも言えない暖かな空気で満ちていたことでしょう。

投稿者 sougen : 2007年03月03日 18:17

コメント

なるほど、、太陽を馬鹿にすると強烈な仕置きが待っている訳ですね。

お寒うございます。地球の回転のズレで日本は南半球へ。
お正月はビキニ・スタイル。お盆はコートとマフラー。

旧約聖書の作者は知っていた。ソロモンの栄華の極み。
あとは滅亡あるのみ。

南極の氷の大陸が融けて、ノアの洪水。
私は箱舟に乗りませぬ。(笑)

永劫に閉ぢ込められし花の冷え・・一草

では、また。

投稿者 一草 : 2007年04月03日 06:20

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