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2006年12月17日
コラム:あるお婆さんのはなし

かれこれ10年程も前のはなしでしょうか。ある檀家さんのお婆さんの娘さんがお亡くなりになられました。
お婆さんは当時すでに80歳、娘さんも60歳ほどでした。お亡くなりになった娘さんは独身で、お婆さんと二人きり、お婆さんのお世話に生涯を費やされた方でした。
そのようなことから、お婆さんの悲しみは非常に激しいものでした。
「私のためにあの子は死んだんだ」「早く死にたい、早く死にたい」
と悲痛な叫びを繰り返されました。
お婆さんは顔を合わせる度に衰弱していかれます。正直、私にはかける言葉もありませんでした。私に出来ることは、供養のためにお経、それも『観音経』というお経をあげることだけでした。
『観音経』は、観世音菩薩が三十三の姿に変化して人々を救って下さることを説いたお経。
お婆さんは信仰心が篤く、普段から『観音経』を読誦しておられましたので、一緒に懸命にお経をあげました。
そんなある日、お婆さんと顔をあわせると、少し精気が戻っていました。そして、お婆さんはポツポツと話し始めました。
「私は娘が亡くなってから、毎日、娘の供養のために懸命に『観音経』をあげています。苦しいときに「妙法蓮華経観世音菩薩普門品…」(=『観音経』の題名)、哀しい時に「而為説法…」(=『観音経』の一節)と、何度も、何度も、一心不乱にお経をよみました。
けれど、顔をあげると娘がそこに立っているんです。それも悲しそうに…。私は涙が止まりませんでした。そしてまた『観音経』をあげ続けました。
そして昨夜のこと、『観音経』をあげながら、心の中で、〈観音様、どうか娘をお助け下さい、どうか娘をお助け下さい〉と願っていました。そしてふと気がついて顔を上げてみると、そこには娘ではなく観音様がお立ちになっておられました。
それはそれは神々しい姿でした。一瞬娘はどこに行ったのかと思いましたが、観音様の後ろに隠れているのがわかりました。それからは観音様が娘の代わりに現われるのです」と。
私はその話を聞き終った後、しばらく沈黙をおいてそのお婆さんに尋ねました。
「お婆さん、その観音様は今どこにいますか?」と。
すると、お婆さんはしっかりと私の眼を見据えてこう言いました。
「ここです」と、そう言ってお婆さんは自分の胸を指さしました。
皆さんはこの話を聞いてどう思いますか?
お婆さんは幻覚を見たのでしょうか?
いえ、お婆さんには確かに観音様が現前したのです。そして、お婆さんにとって、観音様は今も心の中にいて、娘さんを包んでおられるのです。それが信仰というものなのです。
お婆さんは、今は介護施設に入っておられます。そして今も元気です。
きっと、今も『観音経』をあげながら、観音様と一緒に生きておられることでしょう。
2006年12月02日
コラム:心中の虎
中島敦に『山月記』という小説がある。
非常に有名なものではあるが、概略を述べると以下の通りである。
李徴という男がいた。役人として早くから出世したが、性質は狭量で、誇り高く傲慢であった。しかしその高慢さゆえ、上司におもねることを潔しとせず、早々に退官して詩作に耽っていた。しかし詩作では芽が出ず、次第に生活は困窮していく。
思いあまって再び官吏としての生活に戻るものの、すでに彼が見下していた同輩が遙か高位にすすみ、それがまた彼を苦しめた。こうして李徴はある日、遂に発狂して行方をくらましてしまった。
翌年、李徴の旧友である袁惨(えんさん)が山野を歩いていた時、一匹の虎と出くわした。しかしその虎は袁惨に襲いかかるどころか、身を翻して草むらに隠れてしまった。実は、その虎は李徴のなれの果てだったのである。
虎の姿となった袁惨は、李徴と旧交を暖めるものの、自らの姿を恥じ入り決して姿を見せようとしない。李徴は、身体は虎であったが、心の全てが虎に変質した訳ではなかったのだ。
李徴は自らに起こったこの事態を受け容れることが出来ず悶絶する。しかし、兎を見れば食し、人を見れば襲いかからざるを得なかった。しかし一旦人間の心に戻れば、激しい悔恨に襲われた。
そんな李徴には、たった一つ心残りなことがあった。それは、自らが作した漢詩が未だ世に出ていないことであった。
李徴は言う、
「(私には)今もなお記誦せるものが数十ある。これをわがために伝録して頂きたいのだ。…作の巧拙は知らず、とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ。」
こうして李徴は自らが作した漢詩をうたい上げた。袁惨はその出来に感心しながらも、どこか物足りなさも感じていた。
李徴は言う、
「何故こんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考えようによれば、思い当たることが全然ないでもない。人間であったとき、己は努めて人との交わりを避けた。人々は己を倨傲(きょごう)だ、尊大だといった。実は、それがほとんど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。
もちろん、かつての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心がなかったとは言わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。
己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師についたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、また、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。ともに、わが臆病な自尊心と、尊大な羞恥心とのせいである。己の珠に非ざることをおそれるがゆえに、あえて刻苦して磨こうともせず、また己の珠なるべきを半ば信ずるゆえに、碌々として瓦に伍することもできなかった。
己はしだいに世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによってますます己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。
人間は誰でも猛獣使いであり、その猛獣に当たるのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。」
やがて李徴は悔恨の言葉を述べた後、虎の姿を遠目に袁惨に見せ、闇夜に咆哮して消え去った。
『山月記』の内容は以上の通りである。
稚拙な自尊心に苛まれ、自らの才に臆病なあまり、人に屈することが出来ない人を、私は何人も知っている。また街に出れば、たくさんの猛獣を隠した人間を目の当たりにする。
また人との会話の中で、浅学非才な自らに虚栄心の萌芽を見てとり、その心中に潜んでいる猛獣の気配に、戦慄を覚える時もある。
そんな時、私はいつも李徴の、「己の珠に非ざることをおそれるがゆえに、あえて刻苦して磨こうともせず、また己の珠なるべきを半ば信ずるゆえに、碌々として瓦に伍することもできなかった」という言葉を思い出す。
蛇足ではあるが、禅者はこう言う。
「高級役人で、たくさん書物を読んでいる人は無明が多く、あまり書物を読んでいない人は無明がわずかです。役人として栄達しない人が我執が少なく、役人として栄達する人は我執がうんとあります。おれは聡明で利巧なんだと自分で言いますが、わずかでも利害にかかわることとなると、聡明もかくれ、利巧もかくれ、平生読んでいる書物の一字も役に立ちません。それは学問の習い初めから間違っていて、富貴をかち取ろうとばかりするからです。しかも富貴をかち取る人がはたして何人あるでしょうか。ぜひ志向をクルリとかえて、おのが脚下に向っておしきわめなさい。わがこの富貴をかち取るものはどこから来るのか、いま富貴を受けているものは後日どこに行くのか。」(『大慧書』荒木見悟訳)
こうして禅者は自らに巣くう猛獣を端的に見つめて深く反省し、猛獣を飼い慣らし、やがては消し去ることを要求するのである。
虎に呑み込まれてからでは遅いのである。
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