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2006年01月22日
コラム(5):君子は財を愛す
昨日、時代の寵児とまで言われたライブドアの社長が逮捕されました。
今日もそのニュースでテレビも新聞も持ちきりです。
『禅林僧宝伝』巻11「洞山暁聡」章に、次のような言葉が見えます。
①「ある僧が問うた、〈かつて泗州の僧が揚州に現れたが、それは何故か?〉洞山がやって来て、別の修行僧にこのように答えさせた、〈君子は財を愛す。(されど)之を取るに道有り〉と」。
この「君子愛財、取之有道」という言葉は有名なものです。
これは従来『論語』の中の言葉と言われておりますが、『論語』の中に、そのままの言葉は見えません。「里仁第四」に、「富と貴きとは、是れ人の欲する所なり。其の道を以てこれを得ざれば、処(お)らざるなり(富と貴い身分とはこれはだれでもほしがるものだ。しかしそれ相当の方法(正しい勤勉や高潔な人格)で得たのでなければ、そこに安住しない)」(金谷治『論語』岩波文庫・p.53)とあるのをまとめたものと思えます。
さて、①の引用文だけでは曖昧にすぎて今ひとつ理解しかねますが、次の『宋高僧伝』巻18「唐泗州僧伽」章を見ればはっきりします。
②「僧伽(という僧)が晋稜を訪れた時、国祥寺という由緒のある寺院が荒廃しているのを見た。万歳通天年間(696-7)に、僧伽は岸辺から准河を進む一船を呼んで言った、〈汝に財あり。吾に施さば刑獄を寛(ゆる)くすべし。汝の載せる所は剽略(ぬすんで)して得たるのみ〉と。盗賊は言うままに全てを僧伽に与えた。こうして仏殿が成った。後に獄に拘留された盗賊は、雲に乗って降りてきた僧伽が〈安心せよ〉と言って去った後、まもなく届いた政府からの赦免状のお陰で死刑を免れた」。
僧伽は観音菩薩の化身とも言われた神異の僧であったと言います。今で言う超能力者でしょうか。
②を踏まえますと、①の問答の要旨は以下の通りとなります。
「揚州」というのは「江蘇省」のこと。「准河」は江蘇省を流れる河のこと。つまり、①の問答は、泗州の僧である僧伽がどうして江蘇省を訪れて盗賊を教え諭して金品を供養させ、その功徳によって罪を償わせたのか、ということになります。そして、それに対する洞山の回答が、「君子は財を愛す、(されど)之を取るに道有り」というものだったのです。
諸々述べて参りましたが、では、本題の「君子は財を愛す、之を取るに道有り」とはどういった意味なのでしょうか?前句だけを見れば、君子、つまり立派な人程お金は大好きだ!という意味になってしまいます。
しかし、後句の「之を取るに道有り」という言葉と併せて考えることによって、この言葉は全く異なった意味となります。つまり、徳の有る人はお金を愛する、しかし、徳の有る人はそれを手に入れるのに、「道」といったものがあるのだ、という意味になります。これは手に入れることだけを言うのでは無く、②からもその使い方までも含めた言葉であることは明白です。
また『大学』42にも、「財を生ずるに大道有り」という言葉が見えます。同じ様な意味ととって良いかと思います。
お金とは何でしょう?確かに重要なものです。特に資本主義社会である現在では、お金が無ければ何も出来ないと言っても過言では無いでしょう。しかし、それが全てでしょうか?
今回逮捕された堀江氏は、常々「お金で買えないものは無い!」と断言し、また「どうしてみんなお金を儲けようとしないの?ちょっと努力すればみんなお金持ちになれるじゃない」とも言っておりました。
その結果については言うまでもありません。
しかし、ここでは堀江氏の批判をするつもりはありません。むしろ、最近の風潮の象徴が堀江氏であったのではないか、ということが重要なのです。
最近、巷では「勝ち組」「負け組」という言葉が飛び交い、テレビでも、その所謂「勝ち組」の人物の生活が如何に豪奢であるかを、これでもかと持ち上げる番組が度々放送されています。
堀江氏がその代表格として、マスコミで扱われていたことは周知のことでしょう。
しかし、昨日来、その同じマスコミが、掌を返したかのように堀江氏批判を繰り広げています。
堀江氏も、そういった無定見なマスコミに作られ、躍らされた人物でもあります。彼自身、マスコミや株といった、いわば虚像を操って成り上がったつもりが、最後は自らが虚像に弄ばれることになったとは皮肉なものです。
最近では、人々がそういった虚像に憧れ、虚像が全てだと誤解するようになってはいないでしょうか?
先の1月17日で、阪神大震災から11年となりました。
あの1995年の1月17日も大変に冷たい朝でした。白い息に包まれながら、多くの人が逃げまどい、また多くの人が救助活動に一心不乱になっていたのを昨日のことのように思い出します。
11年が過ぎ、倒壊した建物の多くは再建され、投げ倒された阪神高速も建替えられ、今では何事も無かったかのように毎日多くの車で渋滞しております。
街の景色も様変わりし、当山の周りも高層マンションが建ち並び、古い家屋や商店は一掃されようとしております。
あの時、震災に襲われた地区では、水道が止まり、ガスが止まり、電気が止まり、人々の生活は数十年昔に戻ったかのようでした。そんな困窮した状況の中、皆一様に感じた筈です、
これまでの生活のなんと贅沢なものであったかを、そして、都市の構造というもののなんと脆弱なものかを。
バブルの頃、人々は豪華なものを求め、豪奢な暮らしを最善のものと誤解し、企業は土地を買い占めました。
しかし、バブルははじけ、人々は我に返ったかのように、あの頃の浮かれた風潮を反省した筈です。土地を買い占めた企業はその価値の低下に苦しめられ、倒産にまで至ったケースも稀ではありませんでした。
そもそも「価格」というのは相対的なものであって、虚像に過ぎません。
お金もまた人間が造り出した虚像に過ぎません。仏様の目から見れば全て平等です。市場価値などは物の価値とは本来何の関係もありません。
今一度、自らの生活を見直すべきでしょう。地震の時、皆、何も無い生活を体験し、今の生活を反省した筈です。そして、それが本当の地震対策であるとも言えるのではないでしょうか。
堀江氏も、今、拘置所の中で何も無い生活を体験していることでしょう。
そして痛感しているでしょう。暖房が無ければ何と寒いものか、自らの排便の何と汚く臭気に満ちたものであるかを。
彼にとって、今やお金は何の価値もありません。そして、お金で買えないものがあることを自覚しているに違いありません。
しかし、それが虚飾の無い、人が生きるということの本当の姿なのです。そのような存在であるからこそ、人は自らを、また他者を愛し、慈しむことが出来るのではないでしょうか。
そういったことを理解して初めて、人は欲を離れ、「道」に則ったお金の使い方が出来るようになることでしょう。
2006年01月14日
おすすめ書籍:『禅入門』
禅の入門書。初心者におすすめ。
「禅宗寺院の、塵ひとつない境内に一歩足をふみいれたときに感ずるすがすがしさ。
なぜだろうかと思います。
禅宗寺院では、屋外の掃除や労務などを作務といって、
坐禅と両輪をなす大切な修行のひとつなのだそうです。
こころのゆとり、豊かさを求めて、
多くの人びとがカルチャー感覚の坐禅に興味を示しているようです。
坐禅の奥に広がる禅の世界の扉をあけて、
すがすがしさに触れてみましょう。」
写真も美しい。禅の修行者を追った「平林寺で修行する〈禅僧の一日〉」も興味深い。
また坐禅の仕方についても写真付きで解説され、禅の言葉についても詳述する。
淡交社、2,500円、143頁。A4版。
2006年01月09日
本堂改修:工事(2006年1月9日)
本年の開創750年法要・達磨像帰山開眼法要・当山第十九世宗玄和尚晋山式を知らせる駒札が立てられました。


いよいよ年が明け、当山開創750年目となる2006年となりました。
お正月はいつもの通りに過ぎ去りましたが、どこか清々しい気持ちがするのはやはり開創750年目を無事に迎えることが出来たからでもあるでしょう。
大工さんも4日からいつもの通りに工事にかかっております。

見た目にはあまり工事が進んでいないように感じますが、それは大量に積み込まれた木材の一つ一つを現場で加工しているからです。従って、木材の加工が終り、設営が始まれば、みるみる内に仕上がってくることでしょう。
駒札も7日に立て終わりました。禅宗寺院では、大きな法要の前には、このような看板を立てて広く皆様にお知らせすることが古規に則ったやり方です。最近は寺院の儀式でも略式の方向へ向っていますが、やはり大きな儀式に関しては、お寺を開かれた和尚さんや歴代の住職、支えてくださった壇信徒の方々への報恩の意味を込めて、出来るだけきっちりと行ないたいものです。
駒札自体は昨年暮れには出来上がっていたのですが、揮毫する住職の準備に10日程かかりました。
住職は駒札の揮毫を恥ずかしいものにしないために、何度も何度も下書きをしておりました。傍目からは殆ど差が無いようにみえても、当人にとってはなかなか満足のいくものにはならなかったようです。
そんな努力もあって、出来上がった駒札は、写真の通りに大変に立派なものとなりました。
駒札の全長は3m程、玄関にあった時は「すごく大きいなあ」と感じましたが、いざ山門の脇に立ててみると思った程に目だつものとはなりませんでした。こうしてみると、当山の山門もなかなか大きなものだと思えます。
今日から西宮戎神社の十日戎です。今日は休日、寒空の下、たくさんの方が参拝に訪れております。そして、道行く人も足を止めて駒札を御覧になっておられます。

当山は幹線道路から少し入り込んだ閑静な場所にありますが、西宮に住んでいる人、西宮を訪れる人に、「こんな所にこんなに古いお寺があるんだなあ」と知って頂けると幸いです。
そして、日本人として、西宮に住む一人として、足を着けているこの場所の長い歴史に思いをめぐらせ、自らのアイデンティティーを再確認して頂きたいものです。
窓外からかすかに通り過ぎる参拝客の声が聞えてきます。今年は例年寺務所の前に陣取っている「ポン栗」の「ポン!」という大きな爆発音が聞えてきません。今年は出店していないのでしょう。年を追うにつれ、露店の顔ぶれも変っていきます。
明日はいよいよ本戎です。明日はもっとにぎやかなことでしょう。
一方、一歩山門を入れば静かなものです。外の喧噪が嘘のようです。
「庵内の人、庵外の事を知らず」。(『雲門文偃語録』「庵内人為什麼不見庵外事」に基づく)
2006年01月01日
謹賀新年
明けましておめでとうございます。
本年は当山順心寺にとって、開創750年となる節目の年となります。
当山の開創は康元元年(1256)年、鎌倉時代のことです。これまで廃絶の憂き目にあわず、護持することができましたことは、ひとえに壇信徒の皆様や地域の方々のお力によるものです。
今年の秋、10月8日(日)には、その大法要と、当山19世となる不肖宗玄の晋山(住職となるための儀式)、現住職宗紹和尚退山(住職を退くための儀式)の儀、並びに本堂改修の落慶法要、達磨大師木像の安座開眼供養も併修致します。
50年前の当山の開創700年は、戦後間もなくのことで、伽藍の一切を焼き尽くした当山では、とてもそのような儀式を行なう余裕などありませんでした。
また現住職宗紹和尚が住職となったのも、それと前後してのことでした。
したがって、当山でのこのような大規模な儀式は約100年振りのことです。
達磨様もそのような混乱の中、他の寺に遷ることとなりましたが、先日来お知らせしております通り、昨年御帰山頂きました。
戦後から既に60年が過ぎましたが、未だ当山にあっては戦後は終っていなかったと言えました。しかし、この大行事を無事終えることが出来てはじめて「戦後は終った」と当山でも言うことが出来るでしょう。
節目となる2006年、改めて襟を正して順心寺のために、また壇信徒の皆様のために、一同尽力させて頂く所存でございます。
本年も何卒よろしくお願い申上げますと共に、皆様のご多幸を祈念致しております。
