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コラム:(3)躍動する生命 ーいのちをみつめ、こころをみつめるー
中国の唐の時代、臨済義玄([りんざいぎげん]?-867)という一人の禅僧がいた。今日の臨済宗の名は彼の名をうけてのもの。
彼の言動をまとめた書は、数ある禅宗の書の内で最もすぐれたものとの評価を受ける。
彼は次のように語る。
「この肉体には無位[むい]の真人[しんにん]がいて、常にお前達の顔から出たり入ったりしている。まだこれを見届けておらぬ者は、さあ見よ!さあ見よ!」(入矢義高『臨済録』岩波文庫、p.21)。
ここに見える「無位の真人」とは、一般にいう「霊魂」などとは異なる、カタチを有しない生命そのもののこと。臨済は終始一貫してこの生命をみつめることを要求するのである。
また別の言葉を見よう。
「君たちの生ま身の肉体は説法も聴法もできない。君たちの五臓六腑は説法も聴法もできない。また虚空も説法も聴法もできない。では、いったい何が説法聴法できるのか。今わしの面前にはっきりと在り、肉身の形体なしに独自の輝きを発している君たちそのもの、それこそが説法聴法できるのだ」(同上書p.39)。
一見不思議なように感じるこの言葉。肉体が無ければ言葉も発することは出来ないし、ものを聞くことなど出来るはずもない。しかし真実に口をきき、ものを聞く本体は誰か?臨済はこの「本体」を見極めることを要求するのであるが、端的に言えばこれこそが生命そのもの。
一体生命の根源から発しない言葉は言葉と言えようか?心を打つのは生命の根源から発した言葉のみであろう。
臨済の説法の相手は常に具体的な生ま身の人間であって、切れば血の出る裸の人間そのもの。時に臨済はこの生命を「活溌溌地」[かっぱつぱっち]とも表現する。
「溌」はサンズイのかわりにサカナヘンを用いることもあるが、そちらの方がより具体的にこの生命の躍動性を表現する。ピチピチとはね回る魚の姿に生命を重ねるのだ。
禅はこのように生命の躍動性を自覚することを求める。
一般に坐禅は心を鎮め、何も考えない無心の境地に至ることを最上とするかのようにとられる。しかし、何も考えないのが最上であれば、人間は石ころになればよい。
一体本来カタチを有しないこころを改めて「無心」と表現すること自体すでに矛盾であるが、その矛盾こそが普段の人間の姿。
禅宗の開祖とされる菩提達磨[ぼだいだるま]は迷える弟子にこう言った。
「その迷う心をここに取り出せ。さすれば治療してやろう」。
まるで一休さんのとんちのよう。「屏風の中の虎を引き出せ。さすれば縄でひっとらえよう」と。
一休は一級の禅者。達磨のこの言葉をもとにして虎の問答が形成されたことは言うまでもなかろう。
すでにしてカタチの無い心をカタチのあるものと誤解して、人は苦悩に苛まれる。臨済も次のように言う。
「諸君、心というものは形がなくて、しかも十方世界を貫いている。眼にはたらけば見、耳にはたらけば聞き、鼻にはたらけばかぎ、口にはたらけば話し、手にはたらけばつかまえ、足にはたらけば歩いたり走ったりするが、もともとこれも一心が六種の感覚器官を通してはたらくのだ。その一心が無であると徹底したならば、いかなる境界にあっても、そのまま解脱だ。……ほんものの修行者なら、決してそんなことはない。ただその時その時の在りようのままに宿業を消してゆき、なりゆきのままに着物を着て、歩きたければ歩く、坐りたければ坐る。修行の効果への期待はさらさらない。なぜかといえば、古人も言っている、『もしあれこれ計らいをして、成仏しようとしたならば、そういう仏こそは生死輪廻のでっかい引き金だ』と」(同上書p.41-42)。
心とはカタチ無きが故に様々なカタチとなって現われ出る。これこそが心の本質。カタチが有ると思い込んでいる、その「有る」を一つ一つ取り払っていった時、一体何が残るであろうか?それこそが生命のはたらきそのものであろう。
人は本来そのままで全てが具わっているのである。オギャーと生まれた時は全くの素っ裸。しかし既に人間に他ならないし、その無垢な姿はむしろ人の心を打つ。死んで行くときも焼かれてしまえば骨が残るだけ。しかし、それは嘘偽りの無い本当の姿。
それなのに、人は求め続ける。それこそが「欲望」に他ならない。「欲望」を無くしきれば、なりゆきのままに着物を着、歩きたければ歩き、坐りたければ坐るだけでよい。
しかし、その根底には、生命がキラキラと輝き、ピチピチとはね回っているのだ。
そんな生命の躍動性を自覚することを、臨済は1000年の昔に高らかに宣言したのである。それは生命の尊厳性を何よりも重視したことに他ならない。
臨済が生きていれば再び叫ぶであろう「いのちを見つめよう、こころを見つめよう」と。
あらゆる場面において、いのちの尊厳性が問われる今こそ。
投稿者 sougen : 2005年11月04日 18:06
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