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本堂改修:設計過程・その1

無題.bmp現在の本堂

【本堂改修の趣意】

 当山順心寺は、来年(平成18年[2006])、開創750年目を迎える記念の年になります。

 順心寺は康元元年(1256)に、法灯国師心地覚心禅師を開山として創建されました。しかし創建当初は外護者を持たない小さな庵でした。そもそも西宮は早い時期から開かれた町なるが故、多くの寺院もまたこの地に創建されます。しかし、それらの幾つかは時代を経るにつれて衰退し、廃絶の憂き目に遭います。

 一方、順心寺はそれらの寺院とは対照的に、庶民の信仰を集め、時代を経るにつれて次第に発展して参ります。

 しかし先の大戦の折、順心寺は全焼の憂き目に遭います。漸く本堂が再建されたのは戦後20年が経った昭和40年頃のことです。

 それから既に40年が経過しております。鉄筋コンクリート(RC)の建物の寿命は、通常50年程度と言われております。従って、通常であれば、当山の本堂もそろそろ建替えを検討せねばならない時期が来ているということになります。

 しかし、本堂の建替えということになれば莫大な予算が必要となります。そのためには長期的な計画が必要となるでしょう。

 そこで、昨年、大規模なRCの検査(耐震診断計算・耐震診断現地調査)を実施致しました。その結果、次の通りの回答を得ることが出来ました。


・本建物の経年劣化は差ほど進んではいない。
・本建物は「現行基準と同程度の耐震性がある」建物であると判定出来る。
・しかし、床下、天井裏に、後に影響を及ぼしかねない建設時の不備(手抜き工事)が見られる。


 ここに見える「現行基準」とは、阪神大震災後、より厳しくなった耐震基準のことです。その基準に鑑みても、それ以前に建てられた当山の本堂が、優れた耐震性を持っていることが保証された訳です。

 この結果を見た住職・副住職は胸をなで下ろしました。しかし、気になるのは第三項の手抜き工事のことです。

 確かに調査書に添付された写真を見ると、床下・天井裏のコンクリートの一部に、ジャンカと呼ばれる不備が見られることがわかります。そして、その箇所から既にコンクリートが剥離して、中の鉄筋が剥き出しになっています。RCの建物で一番恐ろしいのは、コンクリートの内部に隠された鉄筋が錆びることです。この点は早急に手直しする必要がありました。

 また当山も、あの阪神大震災によって、境内地の多くに大変な被害を受けました。しかし幸運な事に、本堂は地震を乗り越え、未だ偉容を誇っております。それでも震災の折には、屋根瓦が全部崩れ落ち、内部には大きな亀裂が生じました。

 これらの点は、住職が早急に手を打ち、取りあえずの補修のみ済ませました。しかし根本的な補修は未だ手つかずの状態でした。また、地震以後、本堂の内陣の部分が沈んできているように感じられます。事実、内陣のガラス戸は今にも倒れ落ちそうです。

 もともと、順心寺の境内地は、当山の前を走る現在の鳴尾御影線を越えて、西宮神社の塀の辺りまでありました。しかし、戦争後、区画整理によって寺地の半分程が没収され、境内地の配置も大きく変更せねばならなくなりました。こうした事情から、現在の本堂は、戦前には放生池のあった場所を埋め立てて建設されました。従って、元来地盤の緩い場所ではあった訳です。

 この様な、地盤に関する工事は地震の時には一切行なっていません。この点も今後、この本堂を守っていくに当って不安な点でした。

 そこで、住職以下、来年に迫った開創750年遠諱を円滑に進める為にも、また増加した壇信徒の方々により良く本堂を使用して頂く為にも、ここで一旦補修、並びに改修工事をする必要があると判断致しました。

 こうして、本堂改修に向けての準備が始まりました。


【設計施工の業者の選定】

 こうして本堂改修を決定致しましたが、それからも決めねばならないことは山ほどありました。

 これらの内、当面決定必要なことは、①どの程度の改修を行なうか?②また施工業者はどこにするか?③施工と設計を分離するか否か?の三点でした。

 改修の程度については、設計者を決めた上で相談することとし、まず③から検討を始めました。

 寺院の建設を依頼するには、やはりそれ相応の経験と知識を持った業者に依頼せねばなりません。寺院は特殊な建物だからです。しかし、寺院建設を請け負う業者の多くは、設計施工を一括で請け負う所が多いのが現状です。
 
 しかし、副住職は、こうした設計施工一括で任せることへの不安がありました。一括の場合ですと、どうしても見積もりに不明な点が出てきます。素人に、ここまでの判断をすることは不可能です。こうした理由から、観音堂を建設するにあたっても、設計、施工を分離した上で競争入札という方法を取ることにしました。

 そこで、今回も同様の手順を踏むことを前提としましたが、次に、この場合、どの業者に設計を依頼するかが問題となりました。

 当初は、観音堂の設計を依頼した、「菅野企画設計」(URL:http://www.sugano-k.com/jiin/jiin-garally2.htm)に依頼することも考えました。しかし、菅野企画設計は愛知県の会社です。交通費や設計の過程での相談に、どうしても距離の問題が生じてきます。しかも、今回の本堂改修はあくまで改修ですので、それ程多額の予算を組むことは出来ません。こうして菅野企画設計に依頼することは断念し、地元の業者に依頼することと致しました。

 次に平行してどこの業者に施工を依頼するかも検討していました。しかし、この点についてはすぐに決定しました。それは同じく観音堂の施工を依頼した、「中島工務店」(URL:http://www.npsg.co.jp/)でした。

 中島工務店は、本社が岐阜県の加子母村(現在・中津川市)にあり、支店が神戸市の北区にあります。中島工務店は、産直の東濃ひのきを安価で使用することを売りとし、木材建設に定評があります。また寺院の建設も多く手がけており、経験も豊富です。

 今回の当山の本堂の改修も木材を多く使用することが予想されました。また、観音堂建設の折にも御社の仕事ぶりも見ており、信頼が置けます。

 こうして、今回は競争入札という方法は取らず、中島工務店一社に任せることとしました。

 しかし、設計者がなかなか決まりません。そこで、中島工務店のこれまでの経歴を紹介して頂き、その幾つかを見学することで、気に入った建物の設計者に依頼することとしました。

 こうして出会ったのが「光永設計」の東先生でした。

改修 027.jpg光永設計・東氏

 東氏は、非常に温厚で真面目な方で、仕事も丁寧です。しかも光永設計は当山から非常に近い場所にあります。しかし、東氏は、元来真言宗の寺院を多く手がけ、臨済宗の寺院は今回が初めてでしたので、その点互いに不安が残りました。しかし、その点は相談しながら解決していくこととし、今回の本堂改修を光永設計に依頼することと決定しました。


【設計の過程】
 
 こうして東氏と本堂の改修についての設計の準備に入りましたが、問題が山積していました。

 まず、当山の本堂は、臨済宗の寺院の本堂としては異例の形態をしております。

 一般的な臨済宗の本堂は、通常「方丈」と呼ばれます。

 「方丈」については、我が国に禅宗文化をもたらした中国の宋代の辞書に、「方丈は蓋し寺院の正寝なり」(正寝とは表座敷のこと)とあります。つまり、方丈とは元来住職の居室のことでした。しかし居室とは言っても、単に私的な住空間であるのみならず、公的な接客や修行の場としての機能も兼ねていました。

 そもそも方丈という語は、『維摩経』という経典に、維摩居士という優れた在家の修行者が居した場所が一丈四方であったことに由来します。鴨長明の『方丈記』も、方丈で記されたからその書名が付けられました。(以上、前久夫『寺社建築の歴史図典』東京美術、2002年、p.68参照)

 このような方丈が、何故に禅宗の本堂として使用されるようになったかについては、大規模な寺院の中に存する小さな寺院(塔頭[たっちゅう])の展開に由来すると思われます。
 
 塔頭とは、室町時代、五山派の寺院の住職を勤めた僧侶が、山内に庵を構えたことから発展します。そして、塔頭は、日本独自の施設であったが故、「和様(書院造)」で造られていました。それまでの寺院は、いわゆる七堂伽藍と言われるような、僧侶達が集団生活をすることを前提として造られていました。しかし、塔頭が発展するようになると、禅僧の生活は次第に七堂伽藍から塔頭へと移行するようになります。

 こうして、塔頭の中の方丈が本堂へと形式を変えていったものと思えます。事実、方丈の古い形式を残している、東福寺の「龍吟庵」の方丈は、今でも仏像を祀っていません。

 これに対し、当山の本堂は縦長で、寧ろ七堂伽藍の「仏殿」に近い形態をしています。しかし、厳密に言えば、仏殿とも異なる特殊な形式です。その最も大きな相違が、ご本尊以外の、開山禅師や達磨像をお祀りする場所が内陣の外に出ていることです。

現本堂 024.jpg当山本堂内部

 この点は非常に頭の痛い問題でした。古式に則れば儀式などはやりやすくなりますが、元来そういう形式で造られていないものですので、どうしても無理が生じます。一方現状を維持する方向で考えれば、儀式がやりにくいままです。

 しかし、最終的に決定したのは、現状維持、でした。それは、この本堂を造った住職や、当時の壇信徒総代の方々の総意によって決定された形式である以上、それが当山の歴史であり、尊重すべきものであると判断したからです。

 その上で、当山の本堂の形式に最も近いと思われる、妙心寺の開山堂「微笑庵」をモデルに設計は進みました。

midokoro-kaisandou.jpg妙心寺開山堂・微笑庵


投稿者 sougen : 2005年11月02日 17:01

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