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コラム:(4)器
人には器というものがある。
そんなことを物語った逸話に次のようなものがある。
「ある時、司馬頭陀という者が、(中国の)湖南省からやって来た。百丈和尚は、彼に次のように言った、〈わしは潙山[いさん]という山にある寺院の住職になろうと思うがどうであろうか?〉。…彼はこう答えた、〈潙山は非常に美しい山で、1500人もの修行者のいる大寺院です。しかし、和尚様が住職をする所ではありません〉。百丈和尚は尋ねました。〈どうしてか?〉。彼は答えた、〈和尚様は非常にお痩せになっております。一方潙山は大きく、また裕福な寺院です。それにもかかわらず、仮に和尚様が無理をして住職をなされば、修行者は1000人にも満たないものとなるでしょう〉」。
百丈は百丈懐海[ひゃくじょうえかい・749-814]といって、中国の唐代に活躍し、禅宗寺院の様々な規則をお作りなられた方です。そんな方ですから、非常に厳格で、また神経の細かい、几帳面な方でもあったのでしょう。そして、体格はやせ形、わかるような気が致します。
一方、潙山という寺院は、非常に大きく、また景色も良くて、修行者も沢山いる立派な寺院です。百丈ほどの僧侶ですから、たとえ大寺院である潙山であっても、役者に不足がある筈もありません。
しかし、司馬頭陀の答えは「ノー」でした。それは、「百丈に合っていないから」という理由でした。そして、選ばれたのは、百丈の弟子の霊祐でした。霊祐は恰幅のいい、大柄な方であったようです。
確かに、大きな組織のリーダーとなるような人物は、どこか鷹揚な所が無ければいけません。リーダーがあまりに几帳面過ぎると、却って下の人間にとっては息苦しく感じるものでしょう。
このように、いくら立派な人物であっても、向いていない場所にあってはその才能を生かし切ることが出来ないものです。人には「器」というものがあるからです。
問題は、そのことを本人が受け入れることが出来るかどうか、です。小さな「我」を優先すると、却って本人はおろか、組織全体にも悪い結果を導くこととなります。
近年、個性の重視が教育の場でも謳われております。しかし、人の器を無視して個性ばかり重視しても、却って本人も不幸になるのではないでしょうか?個性の重視ということと、わがままを混同してはいないでしょうか?
当人の器をまず見極めること、まずはこれが肝要でしょう。そして、本人も自らの器を真摯に見つめ、それを甘んじて受け入れることが大切です。そして、それが個性を十二分に発揮する結果をも導くこととなるのです。
百丈と潙山の話は、そんなことを我々に伝える逸話であると言えるでしょう。
投稿者 sougen : 2005年11月27日 18:27
