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コラム:(2)「初心」 ー沼津・松蔭寺にて想うー

先日、所用で伊豆を訪れた折、少し足を伸ばして沼津の松蔭寺を参拝致しました。
沼津は静岡県の東南部、伊豆半島の根元辺りに位置する町です。この沼津市の原町という東海道の宿場町に松蔭寺はあります。
江戸時代の俗謡に次のようなものがあります。
駿河にはすぎたるものが二つあり
富士のお山に原の白隠
実際、原町からは富士山がどこからもくっきりと見え、まるで富士山が我々を見下ろしているようです。この町に住む人にとって、富士山が特別な存在であろうことは想像に難くありません。
そして、この町に住んだ人々にとって、富士山と並び称されるのが江戸時代の中期に活躍した白隠慧鶴禅師(1685~1768)なのです。白隠は日本臨済宗中興の祖として、臨済宗で最も有名な禅者の一人です。
白隠はこの沼津の原町に生れ、松蔭寺を中心に活躍し、ここでその生を閉じます。
白隠も富士山を愛した町民であった訳ですが、その白隠と富士山との因縁で、非常に興味深い逸話があります。
富士山が休火山であることは周知の事実ですが、その富士山の噴火の中でも最大であったとされるのが、宝永4年(1707)、11月23日の大噴火でした。この時の噴火は、富士山の南東側山腹に宝永山が出来る程の激しさであったと言い、それは12月8日まで続いたと言います。
この時、白隠は23歳、松蔭寺にありました。その『年譜』には次のように記されています。
松蔭寺の地面は大きく動き、お堂の屋根はその震動で大きな音をたてた。透鱗という兄弟子や同居している寺男達は、皆な庭に走り出てうずくまった。しかし、ただ白隠のみお堂に在って坐禅を続けた。白隠はその時、次のように心に誓っていた、「私がお悟りの眼を開くことが出来れば、あらゆる仏様が私をお守りになって、必ず災害から免れることが出来よう。しかしもし悟ることが出来なければ、瓦礫の下にあって死んでしまうに違いない」と。
この時の噴火の激しさを知ると共に、白隠という一修行者の信念の強さを窺い知ることが出来る逸話です。何事も成し遂げるにあたっては、このような信念が不可欠です。
禅の修行では、「信じる」ということを非常に重要視致します。信念が無ければ、どんなことも中途半端に終ってしまうことでしょう。
『華厳経』という経典にも、「初めて発心する時、すでに悟りを得たのと同じである」と言っています。
近年、「ニート」("Not in Employment, Education or Training"の略語)と言って、勉学に励まず、また定職にも就かずにいる若者のことが問題視されております。
思うに、そんな若者達に欠けているのは、こんな「初心」ではないでしょうか?「初心」とは、何事にも礎となるものであると思えます。目先のことでは無く、こんな「初心」を生みだす環境をつくってあげることが、ニートの若者を増やさない第一歩であると、そんな風に思います。
また定職に就いていても、その過程で様々な不安に駆られることもあるでしょう。そんな時、「信念」が確立していれば、きっと動じることは無いでしょう。
あの雄大な富士山のように、どっしりと地に足をつけた生き方をするためにも、何事も「初心」が大事であると、今更乍らに感じます。

投稿者 sougen : 2005年10月29日 15:50
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