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本堂改修:5月20日 「竣工」

②改修2006.5.20 008.jpg 昨年10月からの改修工事が完了しました。

②改修2006.5.20 009.jpg 正面

②改修2006.5.20 010.jpg 正面

②改修2006.5.20 011.jpg 内部

②改修2006.5.20 012.jpg 内部から外を見る

②改修2006.5.20 029.jpg 夜の内部  

②改修2006.5.20 026.jpg スポットに照らし出される。

今回はスポットライトを設置しました。講演会や演芸に利用できます。
夜はこのように幽玄に照らし出します。

②改修2006.5.20 031.jpg 浮かび上がるご本尊

②改修2006.5.20 022.jpg 浮かび上がる達磨像

②改修2006.5.20 024.jpg 

 

2006年05月22日 15:19 | コメント (0)

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本堂改修:4月② ー竣工間近ー

②改修2006.4.7 011.jpg 工事もあと少しです。

左官工事も終了し、建具も入りました。これは畳の搬入の写真です。畳はまだ新しいので以前のままです。

②改修2006.4.7 012.jpg

②改修2006.4.7 013.jpg


お仏壇の「浜屋」さんに預かって頂いていた仏具も帰ってきました。浜屋さんからもお手伝いに数人来て頂き、一日がかりで仏具の据え付けを行ないました。


10:19 | コメント (0)

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本堂改修:3月

改修2006.3 015②.jpg縁の補強

三月に入り、内部は左官工事、外部はコンクリートの縁の補強と慌ただしくなって参りました。

改修2006.3 017②.jpg

正面の縁は、壇信徒の方々が歩きやすいように幅を広げました。平行して正面扉も折戸とし、全面開放出来るように致します。大きな儀式の折など、本堂に入りきれない程の人が集まることがあります。これまでは縁が狭くて人が上がりにくかったのですが、これからはそんな時にも外側から参拝することが出来るようになることでしょう。

また階段の幅も広げ、全体のバランスを整えました。同時に一段の高さもグッと低くしました。これで脚のお悪い方でも上りやすくなるものと思えます。

2006年04月22日 19:26 | コメント (0)

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本堂改修:工事(3月5日)

改修2006.3 001②.jpg 昨年11月からの大工工事が終了しました。

今回の工事を請け負って頂いた宮大工さんには、殆ど休みも取らず、早朝から夜遅くまで、連日、本当に熱心に仕事をして頂きました。その甲斐あって、御覧の通り大変に立派なものとなりました。


改修2006.3 002②.jpg 

脇仏をお祀りする場所。花頭窓の漆が美しい。


改修2006.3 003②.jpg 

内陣の天井です。今回は格天井に改めました。これまでは合板の一枚板でしたが、手垢が付いたりして汚れが随分目だっていました。内陣はご本尊をお祀りする神聖な場所です。本堂の、いや当山の心臓部にもあたる中心となる場所ですので、出来るだけ立派なものにしたいと心掛けました。

今の工事は分業制です。大工工事が済むと、今度は電気工事、左官工事と続きます。

因みに、今回の工事をして頂いた宮大工さんは、引き続き大分県の住宅建設に携わるため、一ヶ月間大分暮らしとなるようです。「師匠のお子さんの住宅なんですよ」と仰っておられました。

道具箱一つを担いで諸国行脚…、格好いいですね。

2006年03月05日 18:56 | コメント (0)

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本堂改修:工事(2月18日)

須弥壇の据え付けが終りました。

改修2006.2 011②.jpg

現本堂 014②.jpg 改修前

仏具がありませんので、雰囲気しかつかめませんが、違いがわかると思います。

未だ天井や壁などはありませんが、大分出来上がりの様子が想像出来るようになってきました。天井と接する木組みが美しい。花頭窓の漆も桧の白と対比して映えます。

改修2006.2 013②.jpg 遠景

 

2006年02月18日 18:46 | コメント (0)

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本堂改修:工事(2006年2月12日)

2月に入り、木材の組み立てが急ピッチで進んでいます。

改修2006.2 001②.jpg

1月の中旬から加工の終った木材から順次組み立てが始まっています。上の写真は本堂正面の現在の状態です。

改修2006.2 002②.jpg

この写真は本堂後方の扉の現状です。大分組み上がっています。完成すれば、ここに木製の重厚な扉が入ります。

改修2006.2 003②.jpg

これは側面です。既にガラスの入ったアルミサッシが取り付けられています。当山は市街地にあり、準防火地区に指定されています。防火地区に該当する場所では、諸々厳しい規制があります。アルミサッシはそれに則ったものです。本来ならば木製の扉の方が格好が良いのですが、規制がある以上仕方がありません。

改修2006.2 004②.jpg

覆いが被されていますのであまりはっきりとは見えませんが、これがご本尊をお祀りする須弥壇です。美しい木組みが顔を覗かせています。この部分は構造が複雑なので、工場で加工されたものを運んで来ました。

新築では無く改修工事で難しいのは、普段隠された部分の構造が設計の段階でははっきりしないからです。今回の工事でも、そういった問題は諸処に見えました。以下の写真は本堂外部の縁の部分です。

改修2006.2 008②.jpg

本堂下部の腰の部分を撤去した際、顔を覗かせました。副住職はこの縁の部分は全てコンクリートが詰まっているものと思っていましたが、実際には壁を作ってその中に土を埋め、上部にモルタルで蓋をしただけのものでした。

地震以後、床下と同様にこの箇所も地盤沈下を起しています。それに伴って上部のモルタル部分にひびや割れ目が入っています。

しかし、本当ならばこの部分には鉄筋が入っていなければなりません。また鉄筋が入っていても、それが本堂の躯体部と連結されていなければ同じことです。ここではその両方がなされていませんでした。

一体、この本堂を建設したM建設の施工の酷さといったら筆舌に尽しがたい程です。これ以外にも、常識では考えられない施工法を取っていたことが次々明らかになっています。観音堂建設以後、M建設とは手を切りましたが(結果的に廃業)、当然のことです。

M建設の現場監督の人物は非常に不誠実な方でした。観音堂建設の折にも売り込みに来て、入札にも参加してもらいましたが、見積もり金額が他社とは大きな差がありましたのでお引き取り願いました。

当時の状況を、設計を担当した菅野良司氏はHPの中で次のように述べておられます。

「4月7日、
見積りは各社、こちらの指示通りの日程で提出してくれたので、早速、比較検討書を作りました。4月11日・・・
それにしても、鉄筋コンクリート造2階建て約40坪の建物の見積りなのに、見積り額の差は、最も安かった㈱中島工務店の見積り額の28%!
その大きな開きには、住職、副住職、菅野、全員がびっくり!」


そして直後に倒産です。当山の観音堂をM建設に依頼したとしても、すぐに倒産されたのでは、仮に不備が見つかった場合、一体誰が責任を取るのでしょうか?不誠実にも程があります。

現在、耐震偽造マンションの問題がクローズアップされています。耐震偽造の場合は極端な利益追求の結果がもたらしたものですが、こういった手抜きや不誠実な工事はこれまでにも到る所でなされているのでしょう。恐ろしいことです。職人の心意気、それ以前に人としての倫理観といったものが微塵も感じられません。

しかし、40年前のコンクリートはそれ自体強固なものです。従って、不備が多くあっても当山の本堂の耐震強度は現在の規制を十分に上回っております。その点は不幸中の幸いです。

M建設は西宮で公共工事も多く請け負って来ました。それらは現在一体どうなっているのでしょうか?

さて、当該部についても早急に設計士さん、監督さんと相談し、対応を急いでおります。とはいえ、予算にも限りがあります。どうすれば良いか、検討中です。しかし万全を期さねばなりません。

今日は日曜日。休日にもかかわらず、宮大工さんは現れてコツコツと仕事なさっておられます。その真面目な仕事ぶりに本当に感謝致しております。

2006年02月12日 16:37 | コメント (0)

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本堂改修:工事(2006年1月9日)

本年の開創750年法要・達磨像帰山開眼法要・当山第十九世宗玄和尚晋山式を知らせる駒札が立てられました。

改修2006.1 0172.jpg

改修2006.1 0182.jpg

いよいよ年が明け、当山開創750年目となる2006年となりました。

お正月はいつもの通りに過ぎ去りましたが、どこか清々しい気持ちがするのはやはり開創750年目を無事に迎えることが出来たからでもあるでしょう。

大工さんも4日からいつもの通りに工事にかかっております。

改修2006.1 0202.jpg

見た目にはあまり工事が進んでいないように感じますが、それは大量に積み込まれた木材の一つ一つを現場で加工しているからです。従って、木材の加工が終り、設営が始まれば、みるみる内に仕上がってくることでしょう。

駒札も7日に立て終わりました。禅宗寺院では、大きな法要の前には、このような看板を立てて広く皆様にお知らせすることが古規に則ったやり方です。最近は寺院の儀式でも略式の方向へ向っていますが、やはり大きな儀式に関しては、お寺を開かれた和尚さんや歴代の住職、支えてくださった壇信徒の方々への報恩の意味を込めて、出来るだけきっちりと行ないたいものです。

駒札自体は昨年暮れには出来上がっていたのですが、揮毫する住職の準備に10日程かかりました。

住職は駒札の揮毫を恥ずかしいものにしないために、何度も何度も下書きをしておりました。傍目からは殆ど差が無いようにみえても、当人にとってはなかなか満足のいくものにはならなかったようです。

そんな努力もあって、出来上がった駒札は、写真の通りに大変に立派なものとなりました。

駒札の全長は3m程、玄関にあった時は「すごく大きいなあ」と感じましたが、いざ山門の脇に立ててみると思った程に目だつものとはなりませんでした。こうしてみると、当山の山門もなかなか大きなものだと思えます。

今日から西宮戎神社の十日戎です。今日は休日、寒空の下、たくさんの方が参拝に訪れております。そして、道行く人も足を止めて駒札を御覧になっておられます。

改修2006.1 0192.jpg

当山は幹線道路から少し入り込んだ閑静な場所にありますが、西宮に住んでいる人、西宮を訪れる人に、「こんな所にこんなに古いお寺があるんだなあ」と知って頂けると幸いです。

そして、日本人として、西宮に住む一人として、足を着けているこの場所の長い歴史に思いをめぐらせ、自らのアイデンティティーを再確認して頂きたいものです。

窓外からかすかに通り過ぎる参拝客の声が聞えてきます。今年は例年寺務所の前に陣取っている「ポン栗」の「ポン!」という大きな爆発音が聞えてきません。今年は出店していないのでしょう。年を追うにつれ、露店の顔ぶれも変っていきます。

明日はいよいよ本戎です。明日はもっとにぎやかなことでしょう。

一方、一歩山門を入れば静かなものです。外の喧噪が嘘のようです。

「庵内の人、庵外の事を知らず」。(『雲門文偃語録』「庵内人為什麼不見庵外事」に基づく)

2006年01月09日 18:24 | コメント (0)

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本堂改修:工事(2005年10月~12月)

10月に入り、いよいよ工事が始まりました。

【10月】

改修2005.jpg仏具を撤去した本堂

9月中に、「浜屋」さんにお手伝いしてもらい、仏具類を全て撤去致しました。仏具などを撤去した本堂はガランとしています。

こうして10月に入り、工事が始まりました。まず床下の補強です。

改修 2013.jpg床板をめくった状態

畳を外し、床板を一枚ずつ撤去していきます。すると、徐々に床下が見えてまいりました。当山の本堂の場合、床下が直接地面になっています。そして、床板は地面に置かれた礎石の上に支柱を載せて支えられています。礎石と支柱とは全く連結してはおりません。載せているだけです。昔の建物は皆こんな風に作られていたのでしょう。

しかし、当山の本堂が現在建っている場所は、戦前は放生池があった場所で、もともと地盤の緩い場所です。しかも阪神大震災によって陥没や段差が地面に生じております。したがって、礎石も地面の昇沈に伴って大きなズレが生じております。支柱は床板を支える梁と連結していますから、礎石には付いてはいきません。つまり、支柱の多くが宙ぶらりんの状態になっていた訳です。

住職によりますと、地震後、以前当山に関わっていた建設会社に一度補修をさせたとのことでしたが、その補修のズサンなこと…。

改修 2031.jpg

なんと、支柱に写真のように板切れを挟みこんでいただけでした。施餓鬼法要の時など、数百人がこの本堂に入ります。そんな荷重にこのような状態ではいつまで耐えられるか甚だ疑問です。むしろ、これまで大事故が起らなかった方が不思議な程でした。

このようなあくまで緊急の補修の状態では危険窮まりありません。設計士の東氏・副住職もこのことは予測しておらず、大慌てで事態の改善に努めるべく話し合いを行ないました。

その結果、計画を変更し、床下に鉄筋コンクリートを敷いて、新たに礎石を作り直し、床板と新たな基礎の部分とを連結させることによって強度を保つことと致しました。

その為には追加の予算が必要となりますが、皆様に今後本堂を安全にご使用頂く為にも不可避の工事です。躊躇無く了承し、施工会社には急いでその工事にあたって頂きました。

【11月】

改修 2041.jpg鉄筋の敷設

床板を支えるだけですので、そんなに沢山の鉄筋は必要ありません。御覧の通り、いわば鉄筋の網をシートの上に載せ、鉄筋は壁部と連結させることによって強度を保ちます。その上からコンクリートを流し込みます。

改修 2050.jpgコンクリートの流し込み

【12月】

コンクリートの打設も終り、その上にコンクリートブロックを固定し支柱を載せていきます。梁板は既設のものを転用します。しかし、撤去の段階で破損のひどいものは新たなものに取り換えます。

改修 3052.jpg整然と並ぶ支柱
 
整然と支柱が並んでいきます。規則的に並べられた支柱を見て、「綺麗だなあ」と思う一方、「これで一安心!!」と胸をなで下ろしました。

改修 3051.jpg

支柱と礎石とは固定しておらず、以前と同様に礎石の上に支柱を載せているだけですが、写真の通り、梁と基礎を金具で固定することによって、礎石と支柱とのズレを防ぎます。

床板もはり終りました。大工さんには朝早くから夜遅くまで丁寧な仕事をして頂いております。現在仕事をして頂いている方は、尼崎市の園田の方です。お若い方ですが、宮大工を志し、ある高名な宮大工さんについて修行をなさった後、独立されました。最近は、こういったいわば「古い」仕事に携わる若い方が増えております。

以前、仏像の修復を依頼した工房でも、棟梁の方以外は皆20代の若者ばかりでした。しかもその何割かは女性!!ウーマン・パワーを感じざるを得ません。

近年の風潮からか、子供までが安易に起業家になりたいとか、株の勉強をしたいとか口にするようになっています。

バブルの頃の浮かれた風潮を反省していたこの十五年間が嘘のように、再び世の中の一部が浮かれ始めているようです。ただ「お金を儲ければいいんだ」とか、「ルールに則って株を買い占めているんだから何が悪いんだ」などという起業家や株屋さんが最近マスコミを賑わしていますが、彼らを見ていると、非常に人間的に薄っぺらい気がするのは私だけでは無いように思います。

コツコツと地に足を付けて生きること、一つずつ手で作り上げていくことの大切さ、そんなことを大工さんの仕事ぶりを見ながら感じ、後ろからそっと手を合わせました。

改修32060.jpg

改修 3062.jpg雪の境内

今日は大雪(12月22日)。寒風吹きすさぶ中、今朝も早くから仕事にかかっておられます。

今年もそろそろ終りです。これからは年越しの準備で忙しくなります。

2005年12月22日 14:36 | コメント (2)

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本堂改修:設計過程その②

【妙心寺開山・関山慧玄禅師について】

こうして妙心寺開山堂「微笑庵」をモデルに、設計を進めることと致しました。

因みに、妙心寺の開山禅師は「関山慧玄」[かんざんえげん・1277-1360]といいます。現在、全国の臨済宗の寺院の内、妙心寺派に属する寺院数は約3,400ヶ寺、黄檗宗を含めても、全体の約6割を占めます。

その開山禅師ですから、関山は歴史上非常に重要な禅者です。しかし関山については教科書にも出てきませんし、決してメジャーな禅者ではありません。それは関山禅師が隠遁を好まれた方で、記録が非常に少ないからです。

その少ない史料を元に、関山禅師の生涯を追ってみますと、以下の通りとなります。

建治3年(1277)、信州高梨家に生まれる。父に連れられて鎌倉・建長寺に上り得度。嘉暦2年(1327)、建長寺の西来庵での、蘭渓道隆(らんけいどうりゅう・大覚禅師)の50回忌に出頭し、そこで宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう・大灯国師)の優れることを聞き、大徳寺の宗峰に参ずる。嘉暦4年(1329)大悟。この時、宗峰の指示により、名前を「慧眼」から「慧玄」に改める。翌年、宗峰より印状を与えられた後、美濃伊深に入って悟後の修行につとめる。やがて建武4年(1337)宗峰の遷化(せんげ。亡くなること)に伴い、花園上皇の請に応えて京都へ戻り、妙心寺の開山となる。しかしやがて再び行脚。観応2年(1351)、妙心寺再住の院宣が降り、妙心寺に戻る。以後は弟子の指導に専念し、またその日常底は質素そのものであった。延文5年(1360)12月12日示寂。世寿84。歴朝より「本有円成国師」「仏心覚照国師」「大定聖応国師」「光徳勝妙国師」「自性天真国師」「放無量光国師」の国師号を賜わり、明治42年(1909)に「無相大師」の大師号を賜わる。法嗣は授翁宗弼のみ。

その関山禅師が埋葬された場所に建てられたものが、「微笑庵」です。

この「微笑庵」は、現在の妙心寺の建物の中で最古のものです。

妙心寺は鎌倉時代の末期(一説には室町時代初期)に開かれましたが、かの応仁の乱で全焼致します。従って、現在の妙心寺の建造物は、殆ど江戸時代になってから再建されたものです。

ところが微笑庵は、元来妙心寺のものでは無く、東福寺より天文6年(1537)に移築されたものです。

その様式も簡素で、純粋に禅宗様の形式でまとめられております。

しかし、そうは言っても、本堂と開山堂とは、そもそも根本的にその目的が異なりますから、全く同じ形式を踏襲する訳にはいきません。

そこで、設計を手がける東氏と京都の様々な寺院の本堂を見学して、参考とすることと致しました。


【設計案・契約】

妙心寺・南禅寺・大徳寺と、その塔頭を見学して周りましたが、この内、特に興味深かったのは大徳寺でした。

大徳寺は臨済宗の大本山の一つで妙心寺とも非常に関係の深い寺院です。

その伽藍の内、説法をする場所である「法堂」(はっとう)は、現存するものは寛永13年(1636)に再建されたものです。天井の龍の絵は、狩野探幽が35歳の時に描いたもので、同じく狩野探幽の手に成る妙心寺の龍の絵よりも、若いときに描かれたもの故、迫力に満ちています。

大徳寺の法堂は普段公開しておりませんが、今回、大徳寺の中の友人を通じて特別に見学させて頂きました。

その説明によれば、大徳寺の法堂の天井裏はドーム型になっていて、音がよく響くように計算されて造られているそうです。

全く昔の人の智恵は素晴らしいものです。キリスト教に較べ、仏教は音楽的な面において劣っていると言われます。ゴスペルなどはそれだけで優れた音楽であると言えるでしょう。

一方仏教の場合、お経の節回しは「声明」(しょうみょう)と言われ、天台宗のものが有名です。個人的には声明も素晴らしいとは思いますが、音楽と呼ぶには少々違和感を覚えます。

しかも仏教者にとって音楽はあまり興味の対象では無かったと思え、今の本堂(方丈)の多くは開放することに重点が置かれて、音響効果にまでとても気を回しているとは思えません。

そんな中、音響効果にまで気を遣ってお堂を建築している当時の大工の炯眼に、今更ながら感心致しました。

こうして様々な寺院を参考にしながら、どうにか基本となる設計案をまとめ、具体的な予算について検討することとなりました。

交渉にあたっては、設計士である東氏、施工を担当する中島工務店の早野所長には、見積もりには厳密を期すことをお願い致しました。

改修hayano  004.jpg

このようなことは資本主義社会の現在では当然のことではありますが、まだまだ古い体質の残っている寺院では、大雑把な会計で済ませる方も少なくありません。

しかし今回の事業に関しては、当山の壇信徒何百件もの方々から、当山の維持のためにと高額の御寄進を賜っているのです。経済的に余裕のあるお宅ならまだしも、年金の中から寄進頂いた方や、小さなお子様を抱えながらも寄進して頂いた方もたくさんいらっしゃいます。

そんな方々の「想い」を一身に背負っている以上、厳密を期することは当然のことです。ましてや今回は施工会社である中島工務店を信用して競争入札という方法を取らずに、一社のみに依頼しているのです。うるさく言わせて頂くの当然のことと思えます。

東氏・早野氏には、そんなこちらの気持ちを有り体に申し上げ、何度も予算について検討して頂きました。

今回の事業に関しては、前面に立って交渉したのは副住職です。まだまだ若造である副住職が、年配であり、経験豊富な東氏・早野氏にうるさく申し上げることに多少のためらいはありましたが、皆様の「想い」を背負っている以上、副住職は皆様の代弁者であります。そんな「想い」に支えられながら、どうにか交渉を進めました。

過程で東氏・早野氏と見解を異にする点もありましたが、その点は話合うことで解決致しました。また交渉の過程で、東氏・早野氏共に心中穏やかならざることもあったのではないかと危惧致しましたが、最後は笑ってご理解頂けました。

こうして、10月の末、漸く契約を交わすことと相成りました。その間、住職は節目節目で確認をしながら見守っておりましたが、契約の段階で「こんなもんやろうな」と首肯して頂き、東氏・早野氏、そして副住職共々胸をなで下ろしました。

こうしていよいよ工事が始まりました。


2005年11月27日 16:19

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本堂改修:設計過程・その1

無題.bmp現在の本堂

【本堂改修の趣意】

 当山順心寺は、来年(平成18年[2006])、開創750年目を迎える記念の年になります。

 順心寺は康元元年(1256)に、法灯国師心地覚心禅師を開山として創建されました。しかし創建当初は外護者を持たない小さな庵でした。そもそも西宮は早い時期から開かれた町なるが故、多くの寺院もまたこの地に創建されます。しかし、それらの幾つかは時代を経るにつれて衰退し、廃絶の憂き目に遭います。

 一方、順心寺はそれらの寺院とは対照的に、庶民の信仰を集め、時代を経るにつれて次第に発展して参ります。

 しかし先の大戦の折、順心寺は全焼の憂き目に遭います。漸く本堂が再建されたのは戦後20年が経った昭和40年頃のことです。

 それから既に40年が経過しております。鉄筋コンクリート(RC)の建物の寿命は、通常50年程度と言われております。従って、通常であれば、当山の本堂もそろそろ建替えを検討せねばならない時期が来ているということになります。

 しかし、本堂の建替えということになれば莫大な予算が必要となります。そのためには長期的な計画が必要となるでしょう。

 そこで、昨年、大規模なRCの検査(耐震診断計算・耐震診断現地調査)を実施致しました。その結果、次の通りの回答を得ることが出来ました。


・本建物の経年劣化は差ほど進んではいない。
・本建物は「現行基準と同程度の耐震性がある」建物であると判定出来る。
・しかし、床下、天井裏に、後に影響を及ぼしかねない建設時の不備(手抜き工事)が見られる。


 ここに見える「現行基準」とは、阪神大震災後、より厳しくなった耐震基準のことです。その基準に鑑みても、それ以前に建てられた当山の本堂が、優れた耐震性を持っていることが保証された訳です。

 この結果を見た住職・副住職は胸をなで下ろしました。しかし、気になるのは第三項の手抜き工事のことです。

 確かに調査書に添付された写真を見ると、床下・天井裏のコンクリートの一部に、ジャンカと呼ばれる不備が見られることがわかります。そして、その箇所から既にコンクリートが剥離して、中の鉄筋が剥き出しになっています。RCの建物で一番恐ろしいのは、コンクリートの内部に隠された鉄筋が錆びることです。この点は早急に手直しする必要がありました。

 また当山も、あの阪神大震災によって、境内地の多くに大変な被害を受けました。しかし幸運な事に、本堂は地震を乗り越え、未だ偉容を誇っております。それでも震災の折には、屋根瓦が全部崩れ落ち、内部には大きな亀裂が生じました。

 これらの点は、住職が早急に手を打ち、取りあえずの補修のみ済ませました。しかし根本的な補修は未だ手つかずの状態でした。また、地震以後、本堂の内陣の部分が沈んできているように感じられます。事実、内陣のガラス戸は今にも倒れ落ちそうです。

 もともと、順心寺の境内地は、当山の前を走る現在の鳴尾御影線を越えて、西宮神社の塀の辺りまでありました。しかし、戦争後、区画整理によって寺地の半分程が没収され、境内地の配置も大きく変更せねばならなくなりました。こうした事情から、現在の本堂は、戦前には放生池のあった場所を埋め立てて建設されました。従って、元来地盤の緩い場所ではあった訳です。

 この様な、地盤に関する工事は地震の時には一切行なっていません。この点も今後、この本堂を守っていくに当って不安な点でした。

 そこで、住職以下、来年に迫った開創750年遠諱を円滑に進める為にも、また増加した壇信徒の方々により良く本堂を使用して頂く為にも、ここで一旦補修、並びに改修工事をする必要があると判断致しました。

 こうして、本堂改修に向けての準備が始まりました。


【設計施工の業者の選定】

 こうして本堂改修を決定致しましたが、それからも決めねばならないことは山ほどありました。

 これらの内、当面決定必要なことは、①どの程度の改修を行なうか?②また施工業者はどこにするか?③施工と設計を分離するか否か?の三点でした。

 改修の程度については、設計者を決めた上で相談することとし、まず③から検討を始めました。

 寺院の建設を依頼するには、やはりそれ相応の経験と知識を持った業者に依頼せねばなりません。寺院は特殊な建物だからです。しかし、寺院建設を請け負う業者の多くは、設計施工を一括で請け負う所が多いのが現状です。
 
 しかし、副住職は、こうした設計施工一括で任せることへの不安がありました。一括の場合ですと、どうしても見積もりに不明な点が出てきます。素人に、ここまでの判断をすることは不可能です。こうした理由から、観音堂を建設するにあたっても、設計、施工を分離した上で競争入札という方法を取ることにしました。

 そこで、今回も同様の手順を踏むことを前提としましたが、次に、この場合、どの業者に設計を依頼するかが問題となりました。

 当初は、観音堂の設計を依頼した、「菅野企画設計」(URL:http://www.sugano-k.com/jiin/jiin-garally2.htm)に依頼することも考えました。しかし、菅野企画設計は愛知県の会社です。交通費や設計の過程での相談に、どうしても距離の問題が生じてきます。しかも、今回の本堂改修はあくまで改修ですので、それ程多額の予算を組むことは出来ません。こうして菅野企画設計に依頼することは断念し、地元の業者に依頼することと致しました。

 次に平行してどこの業者に施工を依頼するかも検討していました。しかし、この点についてはすぐに決定しました。それは同じく観音堂の施工を依頼した、「中島工務店」(URL:http://www.npsg.co.jp/)でした。

 中島工務店は、本社が岐阜県の加子母村(現在・中津川市)にあり、支店が神戸市の北区にあります。中島工務店は、産直の東濃ひのきを安価で使用することを売りとし、木材建設に定評があります。また寺院の建設も多く手がけており、経験も豊富です。

 今回の当山の本堂の改修も木材を多く使用することが予想されました。また、観音堂建設の折にも御社の仕事ぶりも見ており、信頼が置けます。

 こうして、今回は競争入札という方法は取らず、中島工務店一社に任せることとしました。

 しかし、設計者がなかなか決まりません。そこで、中島工務店のこれまでの経歴を紹介して頂き、その幾つかを見学することで、気に入った建物の設計者に依頼することとしました。

 こうして出会ったのが「光永設計」の東先生でした。

改修 027.jpg光永設計・東氏

 東氏は、非常に温厚で真面目な方で、仕事も丁寧です。しかも光永設計は当山から非常に近い場所にあります。しかし、東氏は、元来真言宗の寺院を多く手がけ、臨済宗の寺院は今回が初めてでしたので、その点互いに不安が残りました。しかし、その点は相談しながら解決していくこととし、今回の本堂改修を光永設計に依頼することと決定しました。


【設計の過程】
 
 こうして東氏と本堂の改修についての設計の準備に入りましたが、問題が山積していました。

 まず、当山の本堂は、臨済宗の寺院の本堂としては異例の形態をしております。

 一般的な臨済宗の本堂は、通常「方丈」と呼ばれます。

 「方丈」については、我が国に禅宗文化をもたらした中国の宋代の辞書に、「方丈は蓋し寺院の正寝なり」(正寝とは表座敷のこと)とあります。つまり、方丈とは元来住職の居室のことでした。しかし居室とは言っても、単に私的な住空間であるのみならず、公的な接客や修行の場としての機能も兼ねていました。

 そもそも方丈という語は、『維摩経』という経典に、維摩居士という優れた在家の修行者が居した場所が一丈四方であったことに由来します。鴨長明の『方丈記』も、方丈で記されたからその書名が付けられました。(以上、前久夫『寺社建築の歴史図典』東京美術、2002年、p.68参照)

 このような方丈が、何故に禅宗の本堂として使用されるようになったかについては、大規模な寺院の中に存する小さな寺院(塔頭[たっちゅう])の展開に由来すると思われます。
 
 塔頭とは、室町時代、五山派の寺院の住職を勤めた僧侶が、山内に庵を構えたことから発展します。そして、塔頭は、日本独自の施設であったが故、「和様(書院造)」で造られていました。それまでの寺院は、いわゆる七堂伽藍と言われるような、僧侶達が集団生活をすることを前提として造られていました。しかし、塔頭が発展するようになると、禅僧の生活は次第に七堂伽藍から塔頭へと移行するようになります。

 こうして、塔頭の中の方丈が本堂へと形式を変えていったものと思えます。事実、方丈の古い形式を残している、東福寺の「龍吟庵」の方丈は、今でも仏像を祀っていません。

 これに対し、当山の本堂は縦長で、寧ろ七堂伽藍の「仏殿」に近い形態をしています。しかし、厳密に言えば、仏殿とも異なる特殊な形式です。その最も大きな相違が、ご本尊以外の、開山禅師や達磨像をお祀りする場所が内陣の外に出ていることです。

現本堂 024.jpg当山本堂内部

 この点は非常に頭の痛い問題でした。古式に則れば儀式などはやりやすくなりますが、元来そういう形式で造られていないものですので、どうしても無理が生じます。一方現状を維持する方向で考えれば、儀式がやりにくいままです。

 しかし、最終的に決定したのは、現状維持、でした。それは、この本堂を造った住職や、当時の壇信徒総代の方々の総意によって決定された形式である以上、それが当山の歴史であり、尊重すべきものであると判断したからです。

 その上で、当山の本堂の形式に最も近いと思われる、妙心寺の開山堂「微笑庵」をモデルに設計は進みました。

midokoro-kaisandou.jpg妙心寺開山堂・微笑庵


2005年11月02日 17:01 | コメント (0)

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本堂改修:本堂改修の為に御寄進賜わりました皆様へ

 謹啓
 時下、山茶始開の候、貴家の皆様方におかれましては、益々御健勝のこととお慶び申し上げます。
 さて、この度は当山順心寺本堂改修の為に、御出費多端の折、過分の御寄進賜わりまして、誠に有難うございました。住職以下、衷心より御礼申し上げます。

 工事は11月より開始し、来年の4月中には竣工の予定でございます。完成すれば、面目を一新することとなるでしょう。そして、清々しい気持ちで来年に迫った開創750年を迎えたいと一同願っております。

  順心寺は、皆様の様な篤信の方々によって護持することが出来ますこと、言うまでもございません。今後とも当山順心寺の為に御協力賜わります様、何卒御願い申し上げます。

 なお、今後、本堂改修の様子を、逐一このHP上で公開して参りますので、どうぞ皆様、暖かく御見守り下さい。

 時節柄、貴家の皆様方におかれましては、御身体呉々も御自愛下さいます様、御祈りいたします。
                                                              謹白

14:20 | コメント (0)