おすすめ書籍:お盆のお経『開甘露門の世界 ―お盆と彼岸の供養―』

餓鬼道からの自他の救済のために
六道輪廻からも解脱できず、それどころか生前に犯した重大な罪によって叫喚地獄や阿鼻地獄といった地獄世界に落ちてしまうと、そこから簡単には抜け出すことはできない。この餓鬼道は決して私たちと無縁な世界ではなく他人事ではない。この餓鬼道から自他を救済するために誦むのが『開甘露門』という経典である。本書はその経典の内容を明らかにし、お盆やお彼岸に行われる施餓鬼会の意味を解明する。
*本書は、当寺住職も一部執筆を担当しております。
お買い求めはココ
巻頭では一般読者のために、臨済宗でお盆やお彼岸に行われている施餓鬼会で常用している「開甘露門」をわかりやすく口語訳にした。
そしてより深い研究のために、施餓鬼の経典として有名な『仏説盂蘭盆経』の訳注、また『仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経』・『仏説救面然餓鬼陀羅尼神呪経』を対照して訳注し、つづいて、「開甘露門」に収載され浄土教系統の陀羅尼であった「往生呪」〔『抜一切業障根本得生浄土神呪』・『阿弥陀経不思議神力伝』〕の訳注、そして現用の「開甘露門」の祖型と思われる中峰明本の『幻住庵清規』附録「開甘露門」も訳注した。それぞれには経典を分析する解題も掲載し、臨済宗の施餓鬼会で使用されている『開甘露門』の内容について現在知り得ることを全て収めた。
3,360円
(本体価格:3,200円 消費税:160円)
禅文化研究所刊
【内容】
はしがき
《執筆者プロフィール》
《口語訳》
臨済宗常用『開甘露門』口語訳/野口善敬・朝山一玄
《訳注》
凡例
一、施餓鬼の経典
『仏説盂蘭盆経』 ―お盆の意味―
〔解題〕/野口 善敬
(一)今回の注釈の立場
(二)『盂蘭盆経』と訳者について
(三)『盂蘭盆経』理解の留意点―宗密『盂蘭盆経疏』による
(四)結びに代えて
〔経典訳注〕/野口善敬
『仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経』・『仏説救面然餓鬼陀羅尼神呪経』
〔解題〕/野口善敬
(一)二種類の餓鬼救済
(二)施餓鬼の経典
(三)経典中の陀羅尼
(四)七如来の由来
(五)疑問点―結びに代えて
〔経典訳注〕二訳対照/朝山一玄・徳重寛道・並木優記・野口善敬・矢多弘範
二、往生呪〔『抜一切業障根本得生浄土神呪』・『阿弥陀経不思議神力伝』〕
〔解題〕/本多道隆
(一)はじめに
(二)版本とその内容
(三)その成立について
(四)禅門における「往生呪」使用
(五)おわりに
〔経典訳注〕本多 道隆・朝山 一玄
三、『幻住庵清規』附録「開甘露門」
〔解題〕/野口善敬
(一)はじめに
(二)『幻住庵清規』について
(三)『清規』附録「開甘露門」について
(四)日本現用『開甘露門』との関係
(五)『蒙山施食文』の存在
(六)曹洞宗の『甘露門』
(七)おわりに
〔訳注〕朝山 一玄・徳重 寛道・並木 優記・野口 善敬・廣田 宗玄・矢多 弘範
《付録》
開甘露門の拍数/野口善敬
《開甘露門》
《往生呪》
2009年08月07日 15:16
おすすめ書籍:廣田宗玄『正法山妙心寺開山 関山慧玄禅師伝』

「無一物」に徹した韜晦の生涯
破れ衣を身に着け、粗末な草菴に暮らし、自身の修行や弟子たちの指導に邁進しながらも、語録などを一切遺さなかった「没蹤跡の禅者」、無相大師こと関山慧玄禅師。
その人となりを示す貴重な伝記資料を註解。
臨済宗最大の教団である妙心寺の開山・関山慧玄禅師の伝記。禅を知るための必読書!
本書は当山住職が執筆致しました。何卒ご一読の程、お願い申し上げます。
春秋社刊 2625円
「無相大師の遠諱という節目に当たり、私たちは改めて大師の生涯を振り返り、大応・大燈両国師から受け継いだ大師の『仏法』を心に刻みつけねばなりません。正しい大師の伝を学ぶことの必要性が叫ばれる所以です」………(「はしがき」より)
2009年06月30日 17:34
おすすめ書籍:西村恵信『十牛図 -もうひとつの読み方-』

生き方のヒントに―
誰もが歩む人生行路の諸段階として「十牛図」を読む。
自分の人生と重ね合わせ、自己の課題として受け取りなおしてほしい。
道を歩く歩き方には、必ずしも目的地へと急いで歩くことばかりではありません。特に『十牛図』の童子のように、家をさまよい出たものは、一歩一歩が真実を求めての足取りですから、決して最終目的があって、そこへ急ぐ歩みではありません。そこにこの、「さすらい歩き」の独特の意味があるわけです。
特定の終着点というもののない「さすらい歩き」は、決して急がない、ということが特徴です。そういう意味では、一歩一歩が目的地であるということもできましょう。『臨済録』にいう、「途中に在って、家舎を離れず。家舎を離れて、途中に在らず」というような歩み方ですね。「行く先が わが家なりけり かたつむり」、というようなものです。(本文より)
*画・西村惠信
2,415円
(本体価格:2,300円 消費税:115円)
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十牛図-もうひとつの読み方- もくじ
はじめに
さまざまな牧牛図
なぜ牛なのか
牛になりたかった禅僧
十牛図の読み方
Ⅰ、尋牛の章――迷うことのできる人間
迷いへの出発
シッダルタの出城
人間に成るということ
閉じこもりの世代
未知への旅立ち
なぜ世界に出かけるのか
あこがれの本質
遠方はわが内にあり
Ⅱ、見跡の章――さすらいの道
迷いの道に咲く花
仏教から仏道へ
家と途中と
仏道という道
学道ということ
歩々これ道場
人生という道
経験と個人
人生の最先端に立つ
花が私を創る
Ⅲ、見牛の章――骨身を削る
見当をつける
大信根を抱く
身体と心
感性の復権
見るということ
花となって見る
祈りと労働
体得ということ
聖書の身読
Ⅳ、得牛の章――悟りとの戦い
荒れ狂う牛
自己との戦い
坐禅と悟り
頓悟と漸悟
サトリの話
二つの悟り
舎利弗の告白
何を得るか
盤珪の不生禅
到り得、帰り来れば別事無し
Ⅴ、牧牛の章――悟りを超える
悟後の修行
母であることは難しい
聖胎長養
小隠と大隠
根本智と後得智
悟りの個体化
悟りの伝達
百尺竿頭、進一歩
向上の一路
Ⅵ、騎牛帰家の章――遊戯の世界
家路につく
豆腐の悟り
ニーチェの超人
子供の精神
人間と遊び
ホモ・ルーデンス
宗教と遊び
遊びの主体性
禅者の詩境
風狂と大愚
良寛和尚奇話
Ⅶ、忘牛存人の章――真実の自己
忘れるということ
老夫婦の愛
まわり道
葉落ちて根に帰す
帰りなんいざ
東洋的霊性と大地性
一無位の真人
心法無形、十方に通貫す
跡を晦ます
格外の人
Ⅷ、人牛倶忘の章――円相の世界
一円相の輪のあらばこそ
迷いも悟りもない
円相と牛
円の本質
禅僧たちの円相
思想としての絶対無
東洋的無
生死一如
四智円明の月
無一物中無尽蔵
本来の面目
Ⅸ、返本還源の章――自然に返る
自然を見る眼
美しき天然
眼だけが残る
現代科学の自然観
仏教への関心
自然をそのままに見ない人間
耳で見、眼で聞くということ
雨だれの音
ヘンリー・ソローの雨
骨もまた清し
Ⅹ、入廛垂手の章――人間は関係である
灰頭土面で街頭へ
市中の隠者
良寛のように
無縁の大悲
二人の自己
人間は関係である
自然との関係
他者との関係
自己自身との関係
絶対他者との関係
附・再録「わたしの十牛図」
家舎を離れて――第一、「尋牛」
禅寺と聖書――第二、「見跡」
迷いの路に咲く花――第三、「見牛」
自己愛とのたたかい――第四、「得牛」
哲学と宗教――第五、「牧牛」
仏の背に騎る――第六、「騎牛帰家」
老作家の涙――第七、「忘牛存人」
悪徳ばなし――第八、「人牛倶忘」
自然があった――第九、「返本還源」
めぐりあい――第十、「入鄽垂手」
おすすめ書籍:芳澤勝弘『白隠禅師の不思議な世界』

江戸中期の禅僧・白隠(はくいん)。現代のZENはこの人から始まった!
白隠禅画から読み解く、禅の深奥。
ウェッジ選書、1,400円。
【目次】
第1部 禅と禅画―白隠とその禅画をめぐって
①禅と室町文化
②江戸時代と白隠の出現
③「おふじさん霞の小袖ぬがしやんせ」
④「この絵は達磨の絵にあらず」
etc
第2部 鼎談・現代に問いかける禅
①われわれは世界をどうとらえるか―白隠の禅画をめぐって
②共同体へのフィードバックとしての“悟り”―インタープリター白隠の業績
③納得のシステム―「心を覓むるに不可得」
④禅が現代に問いかけるもの
第一部は、著者による白隠禅師の禅画の解明であり、第二部は、著者と松井孝典(東京大学大学院新領域創成科学研究科教授)、合原一幸(東京大学生産技術研究所教授)との三者による鼎談。
白隠禅画をあらゆる角度から解明し、さらに禅の真髄に迫る!
おすすめ書籍:「DVD 禅僧が語る」

現代の高僧たちが語り尽くす!
「自殺者が年間3万人を超え、不登校児童やニートと呼ばれる若者が年々増えている。この末世の世の中を、我々はどう生きていけばよいのか。宗門を代表する高僧がたに、その指標となる言葉をいただいた。また、ご自身の生い立ちや、師匠のこと、趣味のことなど、お話の内容はそれぞれにユニークで興味深い。
ハイビジョン撮影による、それぞれ約50分のDVD。
分売も可能ながら、5本セットでお求めいただくならば、1本分お得な価格でご提供」(禅文化研究所HPより引用)。
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分巻販売はコチラ
(*禅文化研究所のHPでは、サンプル動画を見ることもできます)
おすすめ書籍:桝野俊明『禅と禅芸術としての庭』

曹洞宗の僧侶であり、庭園デザイナーでもある著者による、禅庭論。
禅の庭とは
・禅の到来以前の庭は、たんに眺める対象、あるいは使う対象とした庭園であった。しかし、禅の思想は、これまでにはなかったかっきてきな考え方を庭園に持ち込んだ。それは、心の内に見、心の内なるものを無限定に表現することである。
禅とは何か、という基本的な説明から始め、禅の庭について考察を深める。
毎日新聞社 本体1905円(税別) 2008年4月
*禅の芸術、禅の庭園についての論は数多い。しかし、歴史と思想の両面から禅の庭について総合的に述べたものは数少ない。
本書は、その両面を通して禅に庭について考察を加えたものである。
禅の庭は哲学的で難解である。実際には禅は非常に簡単なことしか言ってはいないのであるが、近代以後、禅に関する言説は非常に難解なものになってしまった。そして、誤解も多い。
例えば、これも最近出版された、上田篤『庭と日本人』(新潮新書、2008年1月)の中の禅の庭に関する記述は良くない。
そもそもこの書の文章は、全体に渉って独りよがりで分かりづらいものであるが、特に禅の個所は悪い。この作者はあまり禅に造詣が深くないのであろう、誤字と破滅的な誤読が見られる。
それに較べて、本書は禅僧が執筆したものであるから好感が持てる。
本書の内容は、タイトルから受ける印象とは異なって、禅の庭園の形成史が中心で、思想的な考察は少ない。したがって禅の庭の魅力を正面から分析、あるいは語ったものではない。
ただし、筆者もまた、先の上田氏と同様、禅学を専門にしていた方ではないので、禅宗史の記述に不安を残す。そのせいか、禅宗史の説明が冗長で、自分の血肉になっていない印象をうける。
しかし、禅の庭園が如何にして形成されていったのか、ということを知るにはにまとまっていて良い。総合的に禅の庭園について知りたい人には良書と言えるでしょう。
おすすめ書籍:雑誌『プレジデント』6月号

雑誌『プレジデント』6月号「挑む!やり抜く!『歴史・古典』入門」に、玄侑宗久師による「迷いが晴れる〈禅〉の手引き」が掲載されています。
人と比較しないこと、慢心しないこと、嫌なことを忘れる〈呆け〉という裏ワザも。
仕事で抱え込んでしまう悩み。
その一つに、職場での人間関係がある。
どうしたら相手を好きになれ、のびやかな人付き合いができるのか。
禅の世界に答えを求めていく。
またビジネスマンへの「写経」のススメも掲載されています。
「写経」は丸の内OL、有名経営者をどう変えたか。
静かなブームになっている写経。
262文字に秘められた生きる喜びを、実践者たちの生の声から学ぶ。
仕事で疲れた方、一読をオススメします。
おすすめ書籍:横山紘一『十牛図入門―「新しい自分」への道―』

人生とは、逃げた牛を探すことだった。
室町時代に中国から伝わり、日本人が夢中になった不思議な十枚の絵がある。逃げた牛を牧人が探し求め、飼い馴らし、やがて共に姿を消す―という過程を描いた絵は十牛図と呼ばれ、禅の入門書として知られる。ここでは、「牛」は「真の自己」を表す。すなわち十牛図とは、迷える自己が、自分の存在価値や、人生の意味を見出す道程を描いたものなのだ。禅を学ぶ人だけでなく、生きることに苦しむすべての現代人を救う、人生の教科書。
幻冬舎新書 760円
あなたは「牛=真の自己」を見つける旅の、どの段階にいる?
第一図「尋牛」(逃げた牛を探す)→自分とは何かを探究する。
第二図「見跡」(牛の足跡を見つける)
第三図「見牛」(牛を発見する)→偽りの自分が薄れ、真の自分が顕わになる。
第四図「得牛」(牛を捕まえる)
第五図「牧牛」(牛を飼い慣らす)
第六図「騎牛帰家」(牛を飼い慣らし、牛と一つになる)→真の自分に満足できるようになる。
第七図「忘牛存人」(牛を忘れて自分だけになる)
第八図「人牛倶忘」(全てが空になる)→「ゼロの自分」を知る。
第九図「返本還源」(大本に還る)
第十図「入廛垂手」(迷える童に手を差し伸べる)→他者の幸福のために生きる素晴らしさを知る。(本書より、取意)
*本書は、禅の入門書として有名な『十牛図』を、仏教の唯識思想の専門家である著者が解き明かしたものである。
著者は、これまでも度々、十牛図の解説書を著しておられます。今でも容易に手に入るものとしては、『十牛図・自己発見への旅』(春秋社)を挙げることができます。本書は、これらの成果を踏まえて、より一般向けに易しく『十牛図』について説いたものと言えましょう。
そもそも『十牛図』は、牛飼いの子供と一頭の牛を中心とした十枚の絵に解説が附された、非常に簡潔なものです。
『十牛図』は、禅の修行と悟りの関係を表現した、取っ付きやすいものとして、古来珍重されてきました。これは、禅の修行のプロセスを十段階に分類して説いたものです。その意味では、本来は禅の修行者に向けて著されたものと言えましょう。
『十牛図』の圧巻は第八図以後です。それまで登場していた牛飼いと牛の姿は画面上から消え去り、ただの円、一本の花、そして布袋さんと牛飼いの姿(テキストによっては布袋さんだけのものもあります)だけが描かれます。そして、第十図に表された境地こそが、禅者の最高の境地とされます。
しかし『十牛図』は、本来は禅の修行者向けに著されたものとは言え、端的に言えば「自己の深まり」を追求したものですから、一般の方が読んでも啓発される点が多いと言えましょう。
特に第八図は、宗教的には「回心」を表現したものです。「回心(「えしん」。「かいしん」とも)」とは、「ある動機から精神的変化を起こし、いままでとは全くことなる精神世界に入ることを意味する」(平凡社『哲学事典』)ということです。「改心」と理解しても良いでしょう。
最近の、前世とか、守護霊、オーラといったものに興味を持つ「スピリチュアル」を好む人々に最も欠けているのが、この「回心」ということです。端的に言えば、江原啓之的世界観を好む人々のことと言えば良いでしょう。
心理学者の香山リカ女史は、『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』(幻冬舎新書、2006年)において、こういった類の人々の精神性について分析を加え、彼らは自分にだけに興味を持つ、極めて自己中心的な人々なのだと結論づけます。そしてそれ故、「スピリチュアル」は宗教とは似て非なるものと断言します。正しい宗教は、「利他主義」を標榜するからです。
本書は、こういったスピリチュアルブームを意識して著されたものと言えるでしょう。
著者は、最後に次のように述べて筆を置きます。
「日常生活の中で、例えばお年寄りが重たい荷物を持って歩いている。さあ、どうぞ、と無心に無私に手を差し伸べる、その行為が、気がついてみたら自己を深層から浄化して、自由に爽快になっていくのです。
自己を放棄して他者のために生きる生き方、すなわち菩薩として生きるところに、真の幸福があると、私は最近強く確信するようになりました。
〈ロウソクのごとくに燃えながら燃え尽きて生きよう〉と他人に言いつづけて、また自分にも言い聞かせて、怠惰な身に鞭打って勇気をふるいおこすことにしています」。
迷いから、苦しみから本当に逃れるには、それなりの苦労をしなければなりません。それなりの過程を踏まねばなりません。「スピリチュアル」のように、「ありのままの自分を受け容れる」とか、「癒される」というだけでは、本当の苦しみの解決にはならないのです。
さて、他にオススメの『十牛図』の解説書に、以下のものがあります。是非、あわせて御覧下さい。
上田閑照『十牛図を歩む―真の自己への道』(大法輪閣、2002年、2400円)
→哲学的見地から述べられたもの。わかりやすい。
山田無文『十牛図―禅の悟りにいたる十のプロセス ―』(禅文化研究所、1982年、2100円)
→禅の老師による解説。
上田閑照・柳田聖山『十牛図―自己の現象学―』 (ちくま学芸文庫・筑摩書房、1992年、1050円)
→学術的なレベルで『十牛図』を学びたい人にオススメ。
西村惠信『私の十牛図』(法蔵館、1988年、1800円)
→エッセイ集。
etc
おすすめ書籍:奈良康明・佐々木宏幹編『禅といま』

見方を変える、生きるための「禅」。
己を磨き、「いま・ここ」を目指す禅。
禅から日常を見つめ直したときに、浮かびあがるものとは。
禅に関わりの深い7人がさまざまな角度から、現代社会と禅のあり方を語る、珠玉の講演録。
春秋社、定価1,800円
「…いったい禅とは何でしょうか。私は禅というのは、いつでもどこでも変わらない真実をふまえつつ〈生きていく道〉だと思っています。真実というのは、仏教の言葉で言い直せば、〈法〉とか〈仏法〉となります。真実とは時代を超え、社会を超えて普遍的なものだからこそ真実です。時代や空間、社会によって異なる真実は、真実ではないのです」(本文より)。
【目次】
はじめに 奈良康明(駒澤大学名誉教授)
序章 天地いっぱいに生きる 青山俊童(曹洞宗・愛知専門尼僧堂堂長、正法寺住職)
第一章 禅の来し方
禅の源流 高崎直道(東京大学名誉教授)
文明の危機と禅 奈良康明
第二章 日本社会と禅
現代と道元禅 山折哲雄(元国際日本文化センター所長)
宗教と現代 佐々木宏幹(駒澤大学名誉教授)
第三章 禅の未来
宗教と癒し 上田紀行(東京工業大学准教授)
般若波羅蜜多 玄侑宗久(芥川賞作家・福聚寺住職)
おわりに 佐々木宏幹
おすすめ書籍:新谷尚紀『先祖供養のしきたり』

「―わたしたちは〈死〉によって〈生〉かされている―。
人は〈死者との対話〉のなかに生きている。死者によって生かされているのがわたしたちの人生だ。生者と死者はともにそれぞれの世界で生かしあう関係なのだ。 死・葬・墓・霊の民俗学」。
「できれば家で死にたいと願う人は多い。しかし、実際に身近な人が突然に亡くなったとき、どのように対処すればよいのか知る人は少ない。日本人の風俗・習慣・歴史から、死者の送りかた、そして供養のしかたを学ぶ」(帯文より)。
KKベストセラーズ ベスト新書 780円(税込)
「この世にいる家族や親族、友人などが、あの世の死者や先祖が眠る墓を訪ねて、花を手向けたり、線香を焚き、お経をあげたりすることを〈墓参り〉という。
むしろ、こうした行為は、子どもたちや孫たちに、自分がどこから生まれてきたのか、そして、決して一人だけこの世にいるのではない、先祖があってこそだ、ということを学ぶよい機会となるはずだ」(本文より抜粋)。
*本書は、民俗学的な立場から先祖供養の諸相について述べたものです。
筆者は本書を執筆した動機として、昨年来大ヒットしている「千の風になって」という歌の霊魂観をあげています。
周知の通り、「千の風になって」は、アメリカでの同時多発テロの追悼式の場でよみ上げられて評判となり、日本では新井満氏が翻訳し、オペラ歌手の秋川雅史さんが歌って大ヒットしました。
その内容は、死者が風や光や雪や鳥や星といった自然の一部になって遺族の側に居続ける、といった死生観をロマンチックに歌ったものです。
しかし、その霊魂観は実に素朴なものと言えます。
例えば、「死」というものを理解できない子供に「死」を納得させるために、「死んだら星になる」という説明がなされることもままあることです。実は、「千の風になって」の内容は、こうした子供に話す方便と大差無いのです。その意味で、この歌は、非常に幼稚な死生観をうたったものと言えましょう。
筆者はこう述べます。
「〈千の風〉は、自分の愛する彼や彼女を失った喪失感に戸惑い悩む自分の精神の安定を求める、小さな自己愛に過ぎない。悲歎のなかにいる自分が癒されたいのである。グリーフ・ケア、それが中心であり、かならずしもあの世の死者の苦しみを心配したり、声援を送っているのではない」。
確かにその通りです。「千の風…」を愛する人びとの話す死生観が非常に稚拙に思えるのは、こうした理由からでしょう。近親者の死に本当に身を切られるように苦しんでいる人の場合、この程度の死生観で癒されるとは到底思えません。仮に癒されるとしたら、秋川氏の歌う曲としての完成度の高さにあるのでしょう。
筆者は更にこう批判します。
「かつての伝統的な葬送観念が包括していたのは、生きている自分たちの側から見て、未知で不安なあの世へと旅立つ死者たちの苦しみや迷いを想像し、共感してその冥福を祈るという、他者愛の想像力によるものであった」。
何十万年もの昔に存在したネアンデルタール人も、近親者の死を悼んだと言います。それは決して自己愛によるものではなく、死者への愛からの行為であったと言えましょう。先祖供養の簡略化が進む現在、改めて先祖供養のあり方について考えることは必要なことです。
さて、内容に移りましょう。
本書は、タイトルから想像するような、先祖供養の具体的な方法を述べたものではありません。むしろ、先祖供養において実践すべき「しりたり」の由来について概説したものです。
人の死に方から通夜や葬儀の方法、お墓について、またお仏壇の祀り方など、項目を細かく挙げて先祖供養について説明をしていきます。
従来ならば非常に専門的なものとなるような内容を、平易に、しかも細かく説いていて、楽しく読むことができます。
余談ですが、本書の問題点を挙げるとすれば、独創的な先祖供養の方法を説くことで有名な、あの細木数子氏の著書を多く出版している、「KKベストセラーズ」から発刊されていることでしょうか?あるいは御社の罪滅ぼしでしょうか?皮肉はこれ位にしておきましょう。
おすすめ書籍:高田明和『一日10分の坐禅入門―医者がすすめる禅のこころ―』

「ストレス、うつ、生活習慣病にも《坐禅は効く》。禅のこころがあなたを癒す」。
「簡単にできる坐禅入門。
曹洞宗の開祖(*注記「曹洞宗=日本の曹洞宗」、「開祖=高祖」の誤り)である道元禅師は〈宝蔵自開〉と言われました。坐禅をすれば、自分の内側にもっているさまざまな能力、よい性格、人に好かれるとことが自然と出てくるというのです。私は現在坐禅に関心のある人が多いのは、こうした禅のことばに賭けてみようとする人が多いからだと思います。」(以上、帯文)
浜松医科大学名誉教授・高田明和氏による、坐禅解説書。
角川書店、720円(税込)
〈目次〉
第一章 医者のすすめる坐禅とは?
一、なぜ今坐禅か
心の病に悩む時代
うつ病発生のメカニズム
うつ病と心のあり方
禅の教えが心を安らげる
二、私の坐禅体験
自分を苦しめた考え方
禅僧のひとことの力
日常に坐禅をとり入れる
三、坐禅の優れたところ
人の限界を突破する
努力のみで超えられないもの
最高の境地に至る
第二章 高田流坐禅術
一、どのような心構えで坐禅するか
伝統的な坐禅の基本
坐禅に向かう心構え
人に秘められた力を引き出す
二、用意するものなど
ひとりの坐禅は可か
坐禅にふさわしい時間
坐禅に適した場所
服装について
坐蒲を用意する
線香と線香立て
お経を上げる
食事のとり方
睡眠のとり方
三、調身と調息、調心
まず姿勢を正す
次に呼吸を正す
そして心を正す
公案とどう向きあうか
第三章 日常生活における坐禅
一、椅子に坐っての坐禅
もっとも簡単な坐禅術
言葉を有効に使う
二、内観の法と軟酥の法
白隠禅師の教え
内観の法の実践
軟酥の法の実践
第四章 ストレス社会と坐禅
一、ストレスと生活習慣病
ストレスのメカニズム
ストレスの本当の原因
坐禅で生活習慣病予防
二、うつを防ぎ、うつを癒す
うつ病診断の難しさ
うつ病と自殺
うつ病と宗教
坐禅がうつ病に効く理由
呼吸を正す効果
坐禅には「明るい思い」が大事
朝の坐禅が効果的
第五章 読経と禅語
一、お経に親しむ
二、心をゆさぶる禅語
*筆者は医師でありながら、長年にわたって禅に親しみ、50年近くも坐禅に励んでこられた方です。
以前、山折哲雄『早朝坐禅 ―凛とした生活のすすめ―』をおすすめした時にも述べましたが、禅僧の著す坐禅入門書は、概ね大上段からの説明であり、坐禅の素人にとって、どこかよそよそしい印象を持たせるものが多かったように思えます。
また最近の傾向として、坐禅の効果を説明するためにセロトニン神経などの医学用語も多用されます。
しかし、専門家でも無い僧侶が、取って付けたように医学用語を使って坐禅の効用を説くことに、私は少なからず違和感を感じていました。
本書はまぎれもなく、専門家が医学的な見地から坐禅の効用を述べたものです。その意味で、非常に説得力のあるものと言えましょう。
また坐禅の方法についても平易な文章で説明されています。
ストレスで苦しむ現代人にとって、坐禅がそれを解決する一つの方法であることを知り得る良書と言えましょう。
ただし好事家の陥りやすい弊ですが、知識の披露がやや多いように思えます。徹底して医者の立場から坐禅の効用と方法について述べられるとより良かったようにも思えますが、坐禅の入門書としては十分でしょう。
これから坐禅をしてみようと思っている人にオススメです。
おすすめ書籍:玄侑宗久・南直哉 『同時代禅僧対談 〈問い〉の問答』

玄侑宗久師の新刊!
「〈問う〉という行為を通して見えてくる仏教とは何か―
同時代を共有する二人が大胆に提示するスリリングな対談」。
佼成出版社
販売価格:1,890円(税込)
往復書簡【「序に代えて」より】…
今、対坐していた時間を憶いだしますと、それは殆ど遊戯(ゆげ)といってよいものでした。(中略)まさにあの時間そのものが〈無常〉や〈縁起〉を体現していたようにさえ思い返されます。―玄侑宗久
仮にもし、若き日の私が最初に出会ったのが今の貴師であったとすれば、自分がどのような僧侶になっただろうかと、しきりに思われてなりません。―南直哉
*恐山という禍々しい場所で交わされた二人の禅僧の対談集。
禅僧とは言っても、玄侑師は「臨済宗」、南師は「曹洞宗」に属し、現在の日本では別の教団となっている。
また臨済と曹洞とでは、その修行法や考え方にも微妙な差がある。
その「微妙な差」がある二人の禅僧の間で、どのような対話がなされたのか?
必読の書!
2008年01月28日 19:29
おすすめ書籍:小池靖『テレビ霊能者を斬る ―メディアとスピリチュアルの蜜月―』

「スピリチュアル・ブームを背景に〈テレビ霊能者〉がカリスマ化している。〈前世〉〈守護霊〉といった話題が、普通にお茶の間で語られる昨今であるが、実はテレビと霊能者の蜜月の歴史は古く、その関係には、今も批判的な声が根強く存在する。本書では、カリスマ化する〈テレビ霊能者〉をテーマに、なぜ彼らは人気を博しているのか、その人気は、現代日本人のどのようなニーズの反映なのか、彼らの背景にある思想は何なのか、そして、メディアと霊能者の親和性などについて、新進気鋭の宗教社会学者が解き明かす」。
ソフトバンク新書 2007年12月28日刊 ¥700
*本書は、近年、テレビで活躍する、いわゆる「テレビ霊能者」たちを俎上にのせて、彼らの人生や手法を客観的に分析し、メディアと彼らの関係性について検討を加えたものです。
テレビ(特に民放)で活躍する「霊能者」たちを総称して、「テレビ霊能者」と称したことは言い得て妙です。本書中に筆者が説明している通り、「テレビ霊能者」という表現は、筆者の独創ではなく、三木英・櫻井義秀『よくわかる宗教社会学』(ミネルヴァ書房)で、既に使われているものです。
さて、本書では、70年代のユリ・ゲラーに始まり、80年代の宜保愛子など、テレビで活躍した霊能者たちの多くに言及していますが、主な対象は、江原啓之氏と細木数子氏の二人です。
ここ数年、「スピリチュアル」という言葉をよく耳にします。この言葉を現在の日本人に知らしめたのが江原啓之氏であることについては、おそらくは異論はないでしょう。
彼は、自称「スピリチュアル・カウンセラー」で、霊視をすることによって相談者の悩みに答える「スピリチュアル・カウンセリング」と呼ばれるものを行う人物です。
彼が、一躍時の人になったのは、テレビ朝日系の、彼と美輪明宏氏が、ゲストに「スピリチュアル・カウンセリング」を行う「オーラの泉」という番組が、従来の深夜枠からゴールデンタイムに進出したことによります。
一方の細木数子氏は、彼女が編み出したとされる「六星占術」(しかしこれが中国の暦の考え方に由来する占いの一変種であることは、本書中で説明されている)を行う占い師であり、また彼女の占い本は、ギネスブックにも載っているベストセラー作家でもあります。
しかし、彼女がテレビでもてはやされるのは、占い師としてよりも、その特異なキャラクターから発せられる断定的な物言いにあると思えます。そして、彼女の主張は、古典的な「家父長制」に則ったものであることは知られるところです。相談者の悩みへの解決法にも、多く先祖供養を怠ったことを原因にあげています。その意味で、彼女の主張は、ある程度、既成宗教と親和性を持つものとも言えますが、彼女の先祖供養は、何ら根拠のない独創的なものでもあることは付言しておかねばなりません。
近年、マスメディアで宗教にかかわる事柄を扱うことには慎重な態度が求められています。マスメディアや公の機関が「宗教」を扱うことに慎重であるにもかかわらず、「テレビ霊能者」が、マスメディアで重用されるのはどうしてでしょうか?
それは、彼らや彼らの支持者たちが、自らを「宗教者」、あるいは「信者」と見なしていないことにあるのでしょう。では彼らはどういった分野に属する人物かといえば、それが「スピリチュアル」な世界にいる人物ということになるのです。江原氏自身が自らを「スピリチュアル・カウンセラー」と名乗っていることからも、そのことは明白でしょう。彼らについて分析した論は多く見えますが、ほとんどの場合、彼らを宗教者としてではなく、「スピリチュアル」のカテゴリーの中に収めています。
本書では、スピリチュアル世界を、「非正統的な知の総体」(例えば、オカルトや超常現象、霊能、UFO信仰、能力開発法、ポップ心理学、代替医療、健康法など)とします。つまり、特定の宗教には属さないけれども、どこか宗教的で、不可思議で、そして癒しを与える「文化的な現象」ということになるでしょう。
しかし、本書では、江原氏や細木氏の出現を、「宗教なき時代の宗教」と位置付けています。それは、江原氏や細木氏が、自らの主張の中に「守護霊」や「先祖供養」などを織り込ませているからです。
だが、これらの「先祖供養」の類が、現在の日本人に宗教行為の一つと見なされているかと言えば、そうとは言えません。例えば、お盆の里帰りや墓参りを純粋な宗教行為であると今の日本人の何人が認識しているでしょうか?それらは、むしろ日本人の文化の一つとして見なされていると言えます。
筆者は、こう言います。
「〈組織としての宗教〉が徐々に衰退し、宗教への個人主義的な関わりが増していくという意味では、テレビ霊能者は日本の宗教史の大きな流れに連なる現象でもある。それは、宗教団体のような組織を必要とせず、バラバラの個人がマスメディアを通じて情報にアクセスするという意味ではスピリチュアル系の現象であるが、現在のテレビ霊能者はむしろ、先祖霊などの観念によって日本の伝統的宗教の世界観とも接合しているところに特徴がある。また当然、テレビ霊能者がバッシングされる時も、どちらかというと〈新しさ〉に属する部分のほうが批判の対象になりやすい」(p.149)。
既成宗教が活気を失う現在、それを補う形で、個人的に宗教的なものを求める人びとに、テレビ霊能者は受容されていると筆者は指摘しています。
いつの時代も人は不安を抱えて生きています。そして、歴史上、そうした人びとに安らぎを与えてきたものが宗教でした。それ故、宗教的なものは必要不可欠なのです。
しかし、現在の既成宗教は、伝統に束縛されて、時代にうまくコミット出来ずにいると言えましょう。
その間隙を突いたのが新興宗教であり、テレビ霊能者なのだと筆者は指摘します。つまりその意味で、テレビ霊能者は、時代の空気にうまくマッチしたものと言えます。
しかし、時代にマッチすれば全て良いのでしょうか?いえ、そうではありません。
江原氏の主張する霊魂の存在については、遠い過去に大乗仏教によって明確に否定されています。すでにその時代に、こうした考え方に問題があることは、十分に議論され尽くしているのです。また彼の霊視自体が出鱈目ではないかとの疑問も諸処で指摘されています。
細木氏は、多少、仏教の因果めいたことも口にしますが、それは「地獄に堕ちるわよ!」という有名なフレーズからも理解出来る通り、自らの主張を通すための脅し文句にしか過ぎず、到底、知的なものとは言えません。
一方で、彼らが広く受け容れられているのも事実です。筆者はこう言っています。
「テレビ霊能者は、まさに民衆の宗教的ニーズの一部に応えているからこそ、ここまでの人気を博しているのである。個々のテレビ霊能者が画面から消えても、そのニーズそのものが一朝一夕に消失してしまうことはないだろう。そして、宗教的ニーズの一端であるからこそ、テレビ霊能者たちの主張には証明不可能な部分があり、そのことが常に批判を起こしやすくしているのである」(p.161)。
テレビ霊能者たちにニーズがあることは、その視聴率が物語っています。彼らの言葉で安らぎや救いを得た人も少なからずいることでしょう。しかし、彼らの主張は一方的で、しかも自分達に好都合な形で流されていることを、視聴者の側も常に意識すべきです。
「霊能番組が、我々の生き方や宗教性を考える一つのきっかけとなることまでは否定しない。問題は、そこから真に有益なメッセージを取捨選択しつつ、健全な懐疑心をも忘れずに、賢い視聴者として生きていくことができるかどうかということだ」(p.168)。
筆者はこうして、視聴者にマスメディアの発する情報への批判的な目を持ち続けることの重要性を指摘します。昨年の今頃、あるテレビ番組が「納豆がダイエットに有効」との嘘の情報を流していたと大問題になったことは記憶に新しいですね。
本書は、マスメディアと宗教という、古いようで新しいこの問題を、「スピリチュアル」という新たな視点から、それも非常に整理された形で提示したという点で良書であるということが出来るでしょう。
おすすめ書籍:野口善敬編著『禅門陀羅尼の世界 ―安穏への秘鍵―』

禅宗で誦まれる陀羅尼(ダラニ)の効能を解く!
発心し、修行を決意した人において、初めて万有は相関し、因果も現世を突き抜ける。自己の行なう善因は、どこの誰に結果しようと行なう。禅門ダラニとは、そんな回向の功徳の、宇宙大の広がりである。不可思議功徳を味わっていただきたい。
玄侑宗久(芥川賞作家/臨済宗僧侶)
*本書は、当山の住職も一部、執筆いたしております。
本書は、既刊の姉妹書となる『ナムカラタンノーの世界』で扱った「大悲呪」と、追って刊行される「開甘露門」以外の陀羅尼、「楞厳呪」「仏頂尊勝陀羅尼」「消災呪」「却温神呪」を網羅し、各経典に口語訳、解題、訳注を施したものである。
禅宗僧侶には無論のこと、仏教をもう一歩深く学びたい人々には必ずや「安穏への秘鍵」となるはずであろう。
禅文化研究所刊 3,375円
【内容一覧】
はしがき
《解説》
一、禅宗におけるお経の誦み方
(一)はじめに
(二)陀羅尼の中のキーワードによる分類
(三)呉音と唐宋音による分類
(四)挙経による分類
(五)挙経の違いの理由
(六)木魚と読経のリズム
(七)木魚の有無による分類
(八)おわりに
二、なぜ禅宗で陀羅尼を唱えるのか
(一)はじめに
(二)追善回向としての読経
(三)陀羅尼の功徳
(四)陀羅尼を唱える回数
(五)功徳の実例
(六)おわりに
《訳注》
凡 例
一、「楞厳呪」の経典 ―修行の完成を目指して―
〔呪の口語訳〕
〔解題〕
(一)はじめに
(二)経典とその末釈
(三)禅門における『楞厳経』と「楞厳呪」
(四)「楞厳呪」は何故長いのか
(五)「楞厳呪」の効果
(六)おわりに
〔付記〕
〔経典訳注・『楞厳経』巻七〕
二、「仏頂尊勝陀羅尼」の経典 ―悪道からの回避―
〔呪の口語訳〕
〔解題〕
(一)はじめに
(二)経典とその内容について
(三)中国唐代における流行
(四)中国明末における錯誤
(五)日本における流行
(六)おわりに
〔経典訳注・仏陀波利訳『仏頂尊勝陀羅尼経』〕
三、「消災呪」の経典 ―星への祈り―
〔呪の口語訳〕
〔解題〕
(一)はじめに
(二)経典と訳者
(三)末釈と「消災呪」の流行
(四)特色と問題点
(五)おわりに
〔経典訳注 『仏説熾盛光大威徳消災吉祥陀羅尼経』
『仏説大威徳金輪仏頂熾盛光如来消除一切災難陀羅尼経』〕
四、「卻温神呪」の経典 ―伝染病の魔除け―
〔呪の口語訳〕
〔解題〕
〔経典訳注・『仏説却温黄神呪経』〕
《付録》
一、禅宗(臨済・曹洞・黄檗)の経典・陀羅尼の誦み方
(1)お経の始め方(木魚無しの読み方)
(2)木魚の有無による誦み方の違い
二、禅宗陀羅尼の拍数
《楞厳呪》/《仏頂尊勝陀羅尼》/《消災呪》/《大悲呪》/《卻温神呪》
おすすめ書籍:山折哲雄『早朝坐禅 ―凛とした生活のすすめ―

時には「ひとり」で坐ってみよ!
「群れ」を離れ、静かに自分自身と向き合えば、人生が深くなる。
現代ほど〈人間関係〉の重要性が説かれる時代もない。家族、学校、会社、それぞれにおけるコミュニケーションの大切さが謳われる一方、疲れた人やうつ病は増え続け、自殺者は九年連続で三万人を超えている。著者は、疲れたときには〈群れ〉から離れて〈ひとり〉になってみよ、という。毎朝、五分坐って、己の心と向き合う。正しい姿勢で、深い呼吸をする。季節の風を胸元に入れながら、歩く。ときには庭にたたずみ、河原で風に吹かれる。ひとり静かに自分自身や自然と向き合うことが、騒々しい人間関係の疲れを取り、豊かな人生を手に入れる最良の方法なのだ。
―凛とした生活を送るために大切な身体作法を実践的に説く、山折流・人生指南の書。
祥伝社新書、740円
【目次】
序章 自殺者三万人という異常事態
第一章 早朝坐禅 ―まず、三分から始めてみる
第二章 散歩の効用 ―歩くことで、何が見えてくるか
第三章 心が楽になる「身体作法」 ―正しい姿勢が人生を変える
第四章 うつになる人、ならない人 ―「親子関係、人間関係」でつまずかない
第五章 夜の作法を身につける ―「眠れない人」のための、夜とのつき合い方指南
終章 無常を思って生きる ―「死」を穏やかに受け容れるためのレッスン
*本書は、『早朝坐禅』と題しながら、坐禅については第一章にしか述べられない。しかも著者の本格的な坐禅経験は、永平寺での三泊四日の研修だけである。したがって、本来著者は、たとえ高名な宗教学者であったとしても、坐禅について語る「資格」のない人物である。実際、著者自身も、当初は本書を『早朝坐禅』と題することに違和感を感じたそうである。
しかし、著者は我流ながらも、30年程も早朝坐禅に励んできている。そして、坐禅や散歩に励むようになったのは、人間関係に疲れたことが原因の、うつ病経験からであったという。本書の本旨は、「いかにしてうつ病のような現代人の心の病を克服するか」ということにあるのである。
一体、本屋に行けば、坐禅指南の書は枚挙に暇がないほどである。そしてその多くは永年本格的に坐禅に励んできた禅僧によるものである。
しかし、禅僧と呼ばれる人たちの坐禅の目的は、「さとり」を求めることにあるのであって、心の病を治すことにはない。だから、禅僧による坐禅指南の書は、概ね大上段からの説明である。そして、どこか、よそよそしい。
例えば、ある禅の本山から出された坐禅の書を開いてみると、写真が多く、禅についての説明がふんだんに載せられて、見る分には美しい。禅とは何か、禅宗とはどういった宗教かが詳しく説明されていて、禅の入門書としては好書であると言える。
また、「セロトニン神経」とか、医学の用語によって、いかに坐禅が健康に良いかが説明されてもいる。
しかし、坐禅に少しでも興味を抱く現代人が、そんな専門用語や禅の知識など求めているであろうか?
彼らの多くは山折氏と同様に、人間関係に疲れ、生活に疲れ、ひどい場合にはうつ病などの神経症に苦しむ人たちである。彼らはただ坐禅によって心が軽くなることを求めているだけであろう。
本書は、やむにやまれぬ思いで坐禅に励んだ一坐禅愛好家の著として、坐禅未経験の人に、やさしくその効用を伝えるものとして格好の書といえる。
現代に生きることに疲れた人、うつ病などの神経症に苦しむ人は必見であろう。
そして、一人でも多くの人に実際に坐禅を経験して欲しい。
まずは気楽に! レッツ坐禅!
2007年09月09日 19:22
おすすめ書籍:上田紀行『目覚めよ仏教!-ダライ・ラマとの対話-』

こんなに激しく語るダライ・ラマ、はじめて見た!!
文化人類学者である著者が、亡命中のダライ・ラマを尋ねて実現した二日間にわたる対話の記録。
上田紀行
「仏教の本質を見極め、それを甦らせれば、必ずやそれは現代の私たちの苦しみを救うものとなるのではないか、この時代を救うものとなるのではないか。」
ダライ・ラマ
「そして、これまで議論してきた仏教の復興です。古来の仏教の伝統を、より生きたものとして復興させ、この時代にあったものとしていくことによって、仏教は現代において存在価値を獲得し、活かされることになるでしょう。」
*著者はかつて『がんばれ仏教』で、日本仏教の現状に問題を提起し、そして新たな活動に励む現代の僧侶を取り上げることによって、日本仏教の可能性について言及した。本書はその続編に位置付けられる。
さて本書を一読してまず感じられることは、ダライ・ラマの言葉が驚くほど論理的で平易なことだ(英語での対談であるから、訳者の意向も反映されている可能性もある)。日本の仏教者にありがちな、いわゆる「説教臭さ」が微塵も感じられない。そして先鋭的でもある。
ダライ・ラマは言う、
「神の存在を信じる宗教のグループに属する現在のローマ法王は、たいへん知的な神学者であり、宗教的な指導者ですが、彼は信仰と論理性が共存しなければならない、と強調しています。信仰のみでは宗教は単に神秘になってしまいますが、その信心が正しい論理に伴われているとき、その信心は確かな裏づけのある適切なものとなり、日常生活にも妥当性を持つものとなるのです。
仏教では、そもそも一番初めの段階から、信仰と論理は両立していなければなりません。論理性を欠く信仰は単なる盲信となってしまいます。それは釈尊によて明確に否定されています。信仰は単なる盲信的な信心ではなくて、自分が信心をするに値する適切な土台を釈尊の教えが持っているということについて、自分自身が確信することが必要なのです。…ですから、単に教えられたことを、釈尊が説かれているからという理由によって信ずるのではなくて、教えに対してまず懐疑的な態度によって疑ってかかり、その教えがほんとうに正しいのかどうかということを、自分の頭を用いて調べ、ほんとうにそれが正しいのだということを理解したうえで、その教えを信じていくという態度が必要であるといわれているのです。」(p.72~74)
このようなダライ・ラマの主張は、現代的な問題への一仏教者としての提言として位置付けることができる。論題は仏教界への批判、教育の問題、家族愛について、そして経済活動について、etc…。
時には仏教を離れるように見えながらも、ダライ・ラマの話の根底に常に仏教が息づいている。ダライ・ラマが日本の現況について非常によく理解していることもまた驚きである。
一方で、インタビュアーであり、著者でもある上田氏の質問は、時に独りよがりとなり、また詭弁に堕することもある。ダライ・ラマの鷹揚さと比較すれば、どうしても「青臭さ」が感じられる。しかしダライ・ラマから日本社会の現状に対するこれだけの提言を引き出した点は評価すべきである。
さらに両者の間には共通点がある。それは「仏教が現代社会によりコミットしなければならない」ということである。
上田氏はかつて『がんばれ仏教』で、社会に積極的に関係を持つ僧侶を紹介した。そして、今回もダライ・ラマにそういった僧侶達の活動を紹介している。
そしてダライ・ラマも僧侶が社会にコミットすべきだと主張していることは、先の引用に見た通りである。その上で、ダライ・ラマはこう言う。
「社会を成り立たせ、統合している要因は、法律なのではなくて、愛と思いやりなのです。我々は法律やルールで強制されて一緒に暮らしているのではなくて、私たち自身から自然に発せられる思いやりによって一緒に生活を営んでいるのです。」(p.225)
こうしてダライ・ラマは「愛と思いやり」こそが、僧侶にとっても人々にとっても社会に生きていく上で重要なのだと説く。この点について、著者は次のようにまとめる。
「ダライ・ラマのこれまでの70年余にわたる生涯は、封建時代、近代、そしてポスト・モダンを一人の人生に凝縮しきったものだ。封建制における王として育ち、しかし亡命後は政治と宗教の近代化を推し進める。そして近代の冷酷な社会システムに代わるものとして、愛と思いやりに基づく社会を提示する。その〈愛と思いやり〉は単なる伝統的な価値の復活ではない。復古主義ではなく、近代化を通りぬけた後に再提示された、これからの時代における〈愛と思いやり〉なのである。
封建時代からポスト・モダンまでを駆け抜けた観音菩薩、それがダライ・ラマその人なのである。」(p.222)
中国政府に侵略され、多くのチベットの同胞たちが悲惨な目に遭いながら、未だチベットに足を踏み入れることの出来ないダライ・ラマ。そのような境遇のダライ・ラマがかくも快活に、また愛と慈悲について語り続けることに驚きを禁じ得ない。
「その姿を拝見するだけで誰もが幸せになってしまう柔和な笑顔の内に、実は激しいエネルギーが燃焼している。そして自分の話が毒にも薬にもならない〈ありがたい話〉として聞かれることをダライ・ラマは断固拒否していた。それは真に世界に訴えかけることを自覚している宗教者の姿であった」(著者談・p.12)
ぜひ多くの方々に、ダライ・ラマのメッセージを受け取って頂きたい。
最後に一つだけ欲を言えば、仏教の価値を高く評価し、日本の仏教者に檄を飛ばし続ける著者に、是非とも、次は日本の仏教者に目を向けて貰いたい。
確かに著者の、現在の日本の仏教者への批判には首肯せざるをえない点が多い。その点は我々も大いに反省し、真摯に著者の提言に耳を傾けねばならないであろう。
しかし日本にも、特に臨済禅にはすぐれた僧侶が多くいる。まずはそういった方々に目を向けて欲しい。そして、日々壇信徒と触れ合いながら、市井にあって汗を流し続ける町の僧侶達のことをもっと知るべきであろう。目だつ活動だけが宗教活動ではない。むしろそういった日々の積み重ねが、仏教をこれほどまでに日本社会に根付かせた一番の要因でもあろう。
日本の仏教は目覚め続けているのである。
230頁、日本放送出版協会、¥1,124 (税込)
2007年07月15日 11:56
おすすめ書籍:荒木見悟監修・宋明哲学研討会『竹窓随筆-明末仏教の風景-』

陽明の良知は仏教の真知に及ばない―
「幅広いのに、奥深い。骨っぽいのに、柔軟である。一言でいえば、豊穣というしかない。持戒に励み、禅、浄、律、華厳、天台までに深く通暁した雲棲袾宏(うんせいしゅこう)、晩年の精華がとうとう訳出された。充実した訳や語注も含め、豊かな達成に心から敬意を捧げたい。」
-玄侑宗久(芥川賞作家・臨済宗僧侶)-
中国・明朝末期、陽明学が栄える一方、仏教が不振な中、杭州の雲棲にあって、仏教の根本からの立て直しと人びとの心の救済に全力をそそいだ僧の珠玉の書。待望の完全訳注、満を持して刊行。
仏教を、禅を、中国思想を、より深く知りたい人にオススメ!
551頁
定価 6,615円(税込)
2007年06月17日 16:24
おすすめ書籍:文藝春秋SPECIAL「心の時代を生きる」

季刊夏号『文藝春秋SPECIAL』は、「心の時代を生きる ―日本人と宗教―」がテーマです。
巻頭エッセイ
日本人の宗教観/瀬戸内寂聴
手を合わせる心の習慣/柳田邦男
日本人の宗教/中井久夫
カラーグラビア特集
鎌倉坐禅の旅 ただひたすらの坐禅/立松和平
『般若心経』を実践する 「自然」への祈り/玄侑宗久
特別手記
保阪正康 二十二歳で逝った息子へ 愛する家族の喪失と再生
特別対談
日本人はなぜ『般若心経』が好きか?/養老孟司×玄侑宗久
「心の時代」の医療とは/五木寛之×帯津良一
日本人はなぜスピリチュアルにはまるのか
座談会
日本の神さまに会いに行こう!/赤瀬川原平×三浦佑之×南伸坊
心を奪われることの冥利 僕の四国遍路/藤原新也
アンケート
100人に聞きました「あなたは宗教を信じますか?」
ほか、執筆者多数
1,000円 6月1日刊
詳細はココ
2007年06月03日 16:54
おすすめ書籍:五木寛之『21世紀仏教への旅・中国編』

中国禅は、仏教の大革命だった!
禅の源流を訪ねて中国沿岸部をめぐり、さらに世界のZENを追ってフランスに飛んだスリリングな旅。
「中国で確立した禅は、自己を見つめるという現実的な実践によって、インドにはじまった、解脱をめざす仏教の一大転換をはかった。それは一見、仏教の本道から離れているようにも思える。しかし、自己を見つめる見性(けんしょう)は、おのずとさとりへ通じる。原点のところはしっかりと踏まえているのである。
禅仏教は仏教の源泉をしっかりと守りながら、中国、日本、西欧、あるいはアメリカへと、支流を増やしつつある。ひょっとすると、この禅をひとつの突破口として、さまざまな仏教の思想がアジアはもちろん、欧米にまで広がっていく可能性があるのではないだろうか。
そういう意味で禅は、21世紀の仏教にとって先駆けの役割を果たしているのではあるまいか。」
単行本: 261ページ
出版社: 講談社 (2007/4/26)
1700円
*4月28日から5日間BS2にてNHKでテレビ放映!!
2007年05月01日 18:15
おすすめ書籍:松涛弘道『日本人として知っておきたい仏教のしきたり』

最近、TVなどで様々な先祖供養の方法が垂れ流しにされています。その多くは恣意的で思い付きによるいい加減なものです。
以前にも、ある占い師がTVで話していた内容について、壇信徒の方々から質問をうけたことがあります。
この占い師の言葉によって傷ついた方もいらっしゃいました。
またつい先日には、当寺の郵便受けに、ある新興宗教団体による、先祖供養に関するチラシが投函されていました。
その内容は、先祖供養を怠るから、ケガをしたり、子供が病に罹ったり、流産したりするのだという脅迫めいたものでした。
このような現状は非常に不幸なことだと思っています。
先祖供養は、子孫の一人としてこの世に生をうけた以上、とても大切なことです。しかし、人の不安につけこむようなことを吹聴することは宗教のあり方として疑問を感じざるをえません。
本書は仏教のしきたりを手軽に知ることのできる良書です。こういった正しい供養の仕方を積極的に学んで、おかしな情報に振り回されないようにしましょう。
「お盆やお彼岸の意味とは? なぜ葬送儀礼が必要か? お焼香は三回するべき? 戒名にランクはあるのか?
本書では、わが国の伝統文化である仏事作法の由来や意義について再認識する。
「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」の「南無」とは「自分をささげる」という意味。「引導を渡す」とは「人を導いて仏道に入れる」こと。他にも、宗派別のしきたり、合掌のしかた、四十九日の法要など、基本的な常識やマナーを教えてくれる。昨今は、冠婚葬祭は簡素化したほうがいいとの声が多く聞こえる。たしかに虚礼の自粛や廃止は結構なことだ。しかし、本来あるべき儀礼の意義も知らず、単に効率化だけをはかるのは間違っている。ともに喜び、悲しむ人々の心までも空虚にしてはいけない、と著者は説く。仏教には、たとえ死者であっても追善供養をすることで再生する、という考えがある。そこに日本人のアイデンティティを見ることができるのだ。人生の節目に読みたい一冊である。」
新書: 272ページ
出版社: PHP研究所 (2007/3/16)
¥798 (税込)
*臨済宗ならこれ!

藤原東演著『供養と癒し 臨済宗 仏事のこころ―日々の暮らしが豊かに変わる 』
「通夜、葬儀、法要の流れから、仏壇、仏具、日々の供養のしかたまで、「心」と「形」がこれ一冊でわかる。家族みんなをつなぐ「仏事の本」。
供養は心の修養と癒し-。通夜、葬儀、法要の流れから、仏壇、仏具、日々の供養の仕方まで、「心」と「形」がこれ一冊でわかる。家族みんなをつなぐ「仏事の本」。 」
単行本:268ページ
出版社: チクマ秀版社 (2002/08)
¥1,260 (税込)
2007年04月29日 10:45
玄侑宗久・立川志の輔『21世紀のあくび指南』

―「じゅげむ」じゃなくて「じゅむげ」でしょ(笑)。―
演目ごとに解き明かす、落語の魅力。読めば人生も楽~になっちゃう。
まさに落語は生き方指南!
現代落語の名手と、禅の名僧の、楽しい中にも、含蓄に満ちた対談集。
「一般に、坊さんは弔い専門で縁起でもないと思われているかもしれませんが、じつは呵々大笑する和尚が多く、僧侶仲間はみな落語が大好きです。ただ職業上、笑っちゃいけない時間が多い。これは実存的苦悩とも云うべきもので、車の窓を閉め切って今日も隠れて落語のCDを聞いている和尚がたくさんいると思うと、胸が痛みます。
どうも私は、よく笑う和尚は基本的に笑わない場面でもいい坊さんじゃないかと感じています。「笑いは道にちかし」と老子は言いましたが、たしかに真理はしかめつらしい教訓的な顔つきをしているのではなく、笑えるような話や態度、あるいは笑いそのものになって現れるのだと思います。よく笑う人というだけで、きっと真理に通じていると思うことさえあります。…。
今の日本人は、泣かなくなったと云われます。同時に、あまり笑わなくなったような気もします。
きっと泣くも笑うも、同じ心の自由なはたらきなのでしょうね。それがいろんな束縛で、不自由になっているのだと思います。
『買い物ブギ』のように溢れかえるモノ、『みどりの窓口』に描かれるIT化や効率化のアダ、あるいは『躍るファックス』のジコチュー……。しかし師匠は、それでも我々は『歓喜の歌』を歌えるのだと示してくれました。あれは「圧巻」でした。
泣かせ、笑わせ、どうぞ不自由な現代日本の桎梏を解き放ってください。
どうぞどうぞ、真理漬けの蜘蛛の糸のポンポコピーのポンポコナーの憑依上手な成熟タヌキ、掘り掘りお腰キーラキラ、機―微キビの志の輔さん、明るく美しい日本のため、今後も元気にご活躍ください。
え?また『寿限無』に怒ってるのかって?
怒ってませんよ!」(あとがきより)
星雲社、1524円。
雑誌『一個人』保存版特集「般若心経を愉しむ」

『一個人』という雑誌の今月号は、保存版特集「般若心経を愉しむ」です。
般若心経262文字の真理を説く。自宅で般若心経を書く、読む、聞く。
他にイラストレーターのみうらじゅん氏の坐禅体験記など、仏教についてあらゆる角度から分かりやすく説明されています。
気楽に読んで、是非、坐禅や写経にトライしましょう!
KKベストセラーズ、580円
おすすめ書籍:玄侑宗久『わたしを超えて いのちの往復書簡』

僧侶でもある作家と、がんを体験したエッセイストが、般若心経、不動智神妙録、ユング心理学、量子論や、心とからだについて自在に思いを綴り合った感動の記録。
「〈わたし〉を超える、なんてことが、あり得るのだろうか…。生きているのは〈わたし〉だし、それを認識できるのも〈わたし〉なんだし…。そう思うのも無理はない。
しかしそれは、実際にこの本のなかで起こったことだ。
ここに収められた対話は、一度しかお会いしたことのない岸本葉子さんと、ほぼ一年間にわたって交わした往復書簡である。お互いの日常から哲学、健康や病気、からだと心の問題、また禅や瞑想、身体技術など、その話題はじつに無尽であったと思うけれど、どうやら対話のすべてがやがて一羽の鳳に変身し、大空に飛翔していくのを、私は見た。
たぶんそれと同じことを、岸本さんは〈わたしを超えて〉と表現されたのだと思う。タイトルは岸本さんによる命名である。
〈わたし〉を超えるとは、言葉を超えることでもある。」
(序文より)
中央公論新社、233頁、1,400円。
岸本葉子=エッセイスト。東京大学教養学部を卒業。会社勤務を経て、中国北京に留学。著書に、「炊飯器とキーボード」「女の底力、捨てたもんじゃない」「四十でがんになってから」など多数。
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2007年02月28日 17:53
おすすめ書籍:禅僧になったアメリカ人

アメリカ人でありながら禅僧となったトーマス・カーシュナー師の生涯を振り返る。
何故、異国の一青年が禅に生きることになったのか?
トーマス・カーシュナー師は、母国アメリカでの高校生時代に鈴木大拙博士の著書を読んで禅を知り、大学では柴山全慶老師の禅講座を聞いて、在学中に学園紛争真っただ中の早稲田大学へ留学。
弓道の稲垣源四郎先生を通して坐禅を始め、縁あって、加藤耕山老師に見え、居士として耕山老師の弟子の塚田耕雲老師に参禅、その後、神戸祥福寺の山田無文老師のもとで居士のまま約三年間の僧堂生活を送る。
妙心寺派の山中宗睦師について出家して雲水となり、改めて湊素堂老師の鉗鎚を受けに鎌倉建長寺へ掛搭する。
しかし、鬱になって自殺を考えたり、禅の修行のために大学を退学したことを悔いてもう一度大学に入学したり……。
紆余曲折の人生を送りながらも40年もの永きにわたって日本において禅的生活を送るカーシュナー師のお話は、日本人である我々に、禅的生活の意味を再確認させることでしょう。
カーシュナー師の自伝『禅僧になったアメリカ人』、好評発売中。
おすすめ書籍:山本勉『仏像のひみつ』
話題の仏像解説書!
仏像は、やせたり太ったりする! 仏像の中には何かがある? 知らずに接してきた仏像のほんとうの姿、その本質を簡潔につかまえる。東京国立博物館の人気展示をまとめた一冊。4つのひみつを知れば、仏像ってこんなに面白い!
仏像たちにもソシキがあった!? 仏像の中には何かがあるってほんとう?
仏像に興味はあっても、「むずかしそうだから・・・」と思っていませんか? 種類やかっこう、つくられた時代から材料まで、一見フクザツそうに見える仏像の世界も、4つのひみつさえ知っておけば、じつはこんなにおもしろい!
1 仏像たちにもソシキがある!(如来―さとりをひらいた;大日如来―真理そのもの ほか)
2 仏像にもやわらかいのとカタイのがいる!(金銅仏―ロウのかたち;塑像―土のかたち;ウルシの仏像;木の仏像)
3 仏像もやせたり太ったりする!(仏像の輪切り?;仏像シルエット;大きな仏像、小さな仏像;仏像の身長はどこではかる?)
4 仏像の中には何かがある!(おしまいに;作品解説;仏像のひみつ顛末)
東京国立博物館の人気展示から、初めての、ほんとうにやさしくて楽しい仏像ガイド、ついに誕生。
山本勉
1953年、神奈川県生まれ。東京芸術大学美術学部卒業。同大学院博士後期過程中退。日本彫刻史専攻。24年間の東京国立博物館勤務を経て、2005年より清泉女子大学文学部文化史学科教授。東京国立博物館名誉館員。
1,470円
おすすめ書籍:西村惠信『臨済録をめぐる断章―自己確立の方法―』

数多ある禅の語録の中で、最も簡にして要を得たものとして定評のある『臨済録』を通して自己の確立を説く!
語録の王として珍重されてきた『臨済録』は、もともと禅門修行者のためのテキストで、その格調はすこぶる超俗的である。それをいま一般人のために平易に説いて、現代人の「自信」を喚起させようとする著者の細心が全編に漲る。
同じ著者の『無門関プロムナード』とともに、広く一般読書人に薦めたい。
2,415円・ 約288頁・禅文化研究所
『無門関プロムナード』

ご購入は以下より。
おすすめ書籍:佐々木閑『犀の角たち』

科学とは何か?仏教とは何か?
まったく無関係にみえるこの問いの根底にある驚くべき共通点を、徹底した論理性だけを用いて解き明かす、知的冒険の書。
科学と仏教のあいだを行き来する、新進気鋭の仏教者による冒険の書!
「私は本書で、科学と仏教の関係を論じるが、両者の個々の要素の対応に関しては一切無視した。唯識(ゆいしき)と脳科学だの、マンダラと量子宇宙だの、つき合わせてみても意味がない。視点は常に、科学と仏教それぞれが目標とする世界観である。スケールはそこに合わせてある。科学は総体として、どのような方向に向かっているのか。仏教は本来、何を目指して活動していたのか。その向かう先を見定めることによって、科学と仏教の知られざる関係性を明らかにしたい。それが本書の目的である」。(「序文」より)
筆者は1956年に福井県の浄土真宗の寺に生まれた。しかし科学に興味を持ち、京都大学の工学部に入学したのち、再び文学部の印度哲学科に再入学し、本格的に仏教を学びはじめる。そこで、初めて、仏教の奥深さに目覚めたのだ。
やがて京都大学を出たのち、米国カリフォルニア大学バークレー校に留学。帰国後、花園大学で教鞭を執り、現在にいたる。現在、文学博士。
おすすめ書籍:玄侑宗久『現代語訳 般若心経』

*『般若心経』の最新版!
いのち全体性へ。
-意味から響きへ、理解から感応へ。 262文字のこころを体感する-
『般若心経』には我々が「いのち」のリアリティーを取り戻す現実的な道が示されている。…いったい世尊が瞑想によって到らせようとした境地に、このお経はどんな方法で導こうとしているのか、それは本文を読み、さらには実際に体験して確かめていただきたい。…
ちくま新書、¥700、221頁
*出版にあたり、内容確認のお手伝いをさせていただいたことから、本書のあとがきに、再び当山の副住職の名前をあげていただきました。今回はほとんど何もしておりませんので恐縮に感じております。
おすすめ書籍:玄侑宗久『お坊さんだって悩んでる』

お葬式、お墓、ペットの埋葬問題から、死刑やボランティアへの考え方まで、お寺に持ち込まれる様々な悩みに玄侑和尚が答えます。ややこしい現代を生き抜くための道標となる人生問答集。
(目次)
第1章 お葬式とお墓―お寺はお葬式を出すところ。お墓のあるところ。でも現代人にとって、お葬式やお墓はどんな意味があるの?自由な形式に変えるのは悪いこと?
第2章 お布施の値段―「お寺に納めるお金は法外に高い」「意味も解らずに、高いお布施をとられている」など、お金について言いにくい疑問と誤解を、はっきりさせたいのですが…。
第3章 現代社会の生と死―死刑について、自衛隊について、大震災や大事故についてなど、現代の問題をどうとらえたらよいか迷ったとき、仏教ではどのように説いてくれるの?
第4章 お寺の本当の役割―お葬式とお墓のほかに、お寺は何をしてくれるの?
第5章 伝統と習慣を見直す―お寺や僧侶が継承している文化や伝統には、どのような意味があるの?現代でもそれを守ることは必要なの?
第6章 お寺の後継者と檀家―一般家庭でもお寺でも、長男が家を継ぐのが当たり前ではなくなったご時勢。娘の跡継ぎ、後継者の育成など、変化をどのように受け容れたらいい?
書評:赤瀬川原平
861円、278頁、文藝春秋
おすすめ書籍:西村惠信『狂雲 一休 ー仮面師の素顔ー』

風狂を装った前後截断の禅僧「一休」。仕掛けた罠の謎を解く。
「ふと三面鏡の前にたつ一休さんという洒落たことを思いついた。そうだ一休さんが鏡の前に立っていて、その一つ一つを別々に眺めるから訳がわからなくなるのだ。一休さんの実像に接するためには、三枚の鏡から眼をそむけて、その前にいる一休さんその人を直視しなければならないのだ」。(本文抜粋)
宗教哲学をベースに禅を研究してきた筆者による独自の一休論!一休はとんちの一休さんだけではなかったのだ!
四季社、219頁、1380円
おすすめ書籍:水上勉『土を喰う日々ーわが精進十二ヶ月ー』
生きる為には食せねばならぬ。では「食」の本質とは?
著者は少年の頃、京都の禅寺で精進料理のつくり方を教えられた。畑で育てた季節の野菜を材料にして心のこもった惣菜をつくる。
本書は、そうした昔の体験をもとに、著者自らが包丁を持ち、一年にわたって様々な料理を工夫してみせた、貴重なクッキング・ブックである。と同時に、香ばしい土の匂いを忘れてしまった日本人の食生活の荒廃を悲しむ、異色の味覚エッセーでもある。
禅の教えは日常生活のいたる所に見いだせる。その最たるものが「料理」だ。よって道場では殊の外料理の方法についてうるさく言う。その役も、長い間修行したものしか請け負えない。それだけ難しいのだ。
著者は回想するー
九歳から京都へ出て、小僧になった相国寺の瑞春院も、不思議と孟宗藪にかこまれていた。和尚は、やはり、五月がくるとトンガをもって、ぼくと筍掘りをやった。
「地面に出とるようなのは堅いでな」
と和尚はいったものだ。
(中略)
和尚はこれ(筍)を藪の中でむくようにと命じた。台所へ持ち帰って皮をむけば、また、捨てにゆかねばならぬ労力を省いたわけだが、
「肥やしになるでな」
というのが口ぐせだった。皮もまた肥料になるべく、くさるのである。
生命あるものを「いただく」、感謝する。料理とは「いのち」を工夫することなのだ。
新潮文庫、420円。
おすすめ書籍:末木文美士『仏教vs.倫理』
日本の思想」ここにあり!
〈人間〉を逸脱する他者・死者との関わりを問いなおし、混迷する現代の倫理を超える新たな可能性をさぐる。
「せっかく手元に先人たちの深い思索の跡が残されているのであれば、それを活用しない手はない。しかも長い間の先人たちの積み重ねは日本の文化の深層レベルに沈められ、僕たちの発想を規定しているのではないか。仏教的な発想の解明は、同時に僕自身の深層の解明ではないのか」。
ちくま新書、2006年2月10日、252頁、740円
【著者紹介】
末木文美士(すえき ふみひこ)
1949年山梨県甲府市生まれ。東京大学文学部印度哲学科卒業。同大学院人文科学研究科博士課程単位取得。現在、東京大学大学院人文社会系研究科教授。専攻は、仏教学、日本思想史。著書に、『日本仏教史』(新潮文庫)、『仏教思想』(改訂版、放送大学教育振興会)、『明治思想家論』『近代日本と仏教』(ともにトランスビュー)、『解体する言葉と世界』(岩波書店)、ほか。
おすすめ書籍:『禅入門』
禅の入門書。初心者におすすめ。
「禅宗寺院の、塵ひとつない境内に一歩足をふみいれたときに感ずるすがすがしさ。
なぜだろうかと思います。
禅宗寺院では、屋外の掃除や労務などを作務といって、
坐禅と両輪をなす大切な修行のひとつなのだそうです。
こころのゆとり、豊かさを求めて、
多くの人びとがカルチャー感覚の坐禅に興味を示しているようです。
坐禅の奥に広がる禅の世界の扉をあけて、
すがすがしさに触れてみましょう。」
写真も美しい。禅の修行者を追った「平林寺で修行する〈禅僧の一日〉」も興味深い。
また坐禅の仕方についても写真付きで解説され、禅の言葉についても詳述する。
淡交社、2,500円、143頁。A4版。
おすすめ書籍:玄侑宗久『無量光明の世界』
音楽と朗読によって聴く者の魂に響く
わたしたちの魂はどこへ行くのか
人はどのように死んでいくのか。
究極の問いに答える「魂の救済の書」
死とその後の世界を、科学的・宗教的見地からやさしく解き明かす。
CDブックー
無量光明の世界とは(語り・玄侑宗久)ほか
徳間書店、2005年11月30日、89頁、2857円+税
2005年11月27日 18:17
おすすめ書籍:玄侑宗久『禅語遊心』
禅僧であり小説家、玄侑宗久師の最新刊!豊饒なる禅語の世界へ誘う。
解き放つ。
かみしめ、味わい、深く呑み込む。
季節の巡りに身を添わせ、自然と親和して、
やがて言葉を超えてゆく。
禅語の世界の豊饒を、老師二十四人の墨蹟と達意の文章で紹介。
日常に風が吹き、もっと自由になる「禅的生活」実践篇。
「禅は世間の常識というものに対し、かなり懐疑的である。この世で生きていくうえでは世間の常識も必要だが、それは往々にして我々の精神を不自由にする。禅がなにより大切だと考えるのは、精神の自由なのだ。ここに述べた禅語を味わい、納得した事柄を生活のなかで実践していくうちに、いつしかあなたは自由になり、そしていささか非常識になっているかもしれない。(中略)ここで自由とは、無邪気のことでもある。世間の常識に潜む邪気に、無邪気で向き合うのだ。無邪気こそ、我々の禅が回帰すべき場所であり、邪気に対抗できる力なのである。」
*本書の校正、並びに出典の精査に当山副住職も携わっております。
筑摩書房、2005年11月10日、249頁、1600円+税
【著者紹介】
玄侑宗久[げんゆうそうきゅう]
1956年福島県三春町生まれ。慶應義塾大学文学部卒。天龍寺専門道場にて修行。現在、臨済宗妙心寺派福聚寺副住職。また、2001年「中陰の花」で第125回芥川賞受賞。『中陰の花』『御開帳綺譚』(文藝春秋)、『水の舳先』『アミターバー無量光明』『リーラ 神の庭の遊戯』(新潮社)、『私だけの仏教』(講談社+α新書)、『禅的生活』(ちくま新書)、『死んだらどうなるの?』(ちくまプリマー新書)、『釈迦に説法』(新潮新書)、『サンショウウオの明るい禅』(海竜社)、『やおよろず的』(四季社)、『脳と魂』(養老孟司との共著)、『祝福』(坂本真典とのコラボレーション、以上筑摩書房)、『なぜ、悩む!』(A.スマナサーラとの共著、サンガ)など、著書多数。
おすすめ書籍:芳澤勝弘『白隠 ー禅画の世界』

「秘められた禅的メッセージを読み解く
目からウロコの白隠ワールドへ」
禅画はむずかしいと言われる。なかでも、江戸中期に臨済禅を再興した白隠は、特異な画風で知られ、これまで誤って理解されることも多かった。しかし、禅画とは本来「言葉で表現できない禅的メッセージ」を伝えるものである。白隠の禅画も、彼の事跡や著作、その時代背景を丹念に検証することによって、そこにこめられた意図がストレートに浮かび上がってくる。多様な作品を読み解きながら、禅画の世界へいざなう。
中公新書、2005年5月25日、269頁、820円
おすすめ書籍:西村惠信『禅話集:花のありか』

「脚下を深く掘り下げよ。あなたの求める真実の自己ー達磨と出あう旅が始まる!」
本書は、筆者である前花園大学学長・西村惠信師が諸処において行なった講演会の内容を文章に起こしたものである。
禅や仏教、更にはキリスト教の教えを通して人生について優しく説く。
目次
1、己事究明の道を行く
2、白隠和尚の修行と悟り
3、良寛さんと詩
4、謳うも舞うも法の声
5、仏教の勘どころ
6、開眼から瞑目へ
7、花のありか
8、禅僧の死生観
9、禅宗とは何か
10、禅 ー無明解脱の道
11,沢庵和尚の面目
ノンブル社、2005年、245頁、2300円
おすすめ書籍:玄侑宗久・坂本真典『祝福』

「写真と小説・歓喜に満ちた出逢い
可憐な蕾、妖艶な花びら、
そして気高い滅びの姿ー
蓮の秘密は写しとられ、今、物語は生れる。
奇蹟の恋物語」
禅僧であり小説家、玄侑宗久師の最新作。玄侑師による美しい恋物語と、何年にも渉って上野不忍池の蓮を17000枚も撮影した中から選び取られた、坂本真典氏による美しい写真とが相俟って、読む者に清らかな涙を誘う。
しかし、そのテーマは仏教の諸行無常であると言えよう。
「植物としてのハスは、通常は〈荷〉と書いた。それに〈蓮〉という文字を当てはめるようになったのは、その花が〈恋〉を想わせたからだ。〈蓮〉と〈恋〉との音通を楽しんだ中国の文人たち。彼らによって蓮は、いわば〈祝福〉されたのである。
それは蓮が、極楽の花として祝福されるずっと以前の話だ(本文抜粋〉」
筑摩書房、2005年9月10日、126頁、1600円
